第415話 安住の地

百姓雑話

春といえば引っ越しのシーズン。進学、就職、転勤とたくさんの人たちが引っ越します。引っ越し先の生活に慣れた頃、どれだけの人が「いい所に越してきた」と思えるのでしょうか。

私は、19歳まで生家で、55歳からこの地で暮らしています。この間、13回も引っ越し、短い所では半年。

数々の地に移り住みましたが、生家と今のところ以外は二度と住みたくはありません。その最たるものがソマリアの難民キャンプです。

そこは、住み慣れた日本とは真逆の世界で、わずかに灌木が生えただけの荒涼とした砂漠が地平線の先まで続いていました。日中は40℃を超え、夜間はぐっと冷え込む。乾季には砂嵐が吹き荒れ、数m先も見えないことも。乾燥が激しく、汗もかかずに体内から水分が蒸発していき、脱水症状になった者もいました。

難民たちは、小枝をドーム状に組み、布で覆っただけの小屋に一家で住んでいました。たかだか2坪ほどの広さに。床にゴザか布を敷いている家もありましたが、土間のままの家がほとんどでした。とてもではないですが、こんなところを安住の地と思える難民などいなかったでしょう。

私たちNGO(民間非営利団体)スタッフも、日本の生活から見れば、難民たちと大差のない生活を送っていました。灯油ランタンで明かりをとり、飲料水は川の水を砂でろ過し沸騰しただけのものでした。

毒ヘビや毒グモが這いまわり、サソリに足を刺された者も。私は1年間で8kgほどやせてしまいました。やせ細るだけならまだしも、虫垂炎で亡くなったNGOスタッフも。まともな病院などなかったからです。

それでも、癒しはありました。月のない夜に砂の大地に寝そべり、満天の星空を眺めることでした。無数の星々が輝き、その光で本が読めるほど明るい。天の川は、まさに川のように天空を流れていました。自分の拍動さえ聞こえそうな静寂と無数の星々に抱かれ、「人も星の子だ」という感慨がこみ上げ、こぼれ落ちた涙が乾ききった心を癒してくれました。

1986年、こんな日々を送るなかで、「いずれ日本にも、農民が減り続け、経済力が衰え、食料難の時代が来る」と直感し、私は就農を決意しました。

就農して20年ほどが過ぎ、農場に続く道で毎年こんな光景が見られるようになりました。コンクリートの中央分離帯と道路の境に溜まった、ほんの少しの土に根付き、花を咲かせ、命をつないでいく植物。こんな厳しい環境でも、この植物にとってはここが安住の地なのかもしれません。

老いを迎えて気づけば、長い流転の末にたどり着き、格闘してきたこの地が私の安住の地でした。

世界には、安住の地を追われて難民になったり、忌まわしい土地から逃げ出したくても逃げられずに一生を終える人たちもたくさんいます。そんな人間界にあって、安住の地で命を終えられそうな私は幸せ者なのでしょう。

(文責:鴇田 三芳)