第190話 我が身を守る

百姓雑話

昨日は立秋であった。昔から「梅雨明け十日」と言って、梅雨明け後の10日間くらいは厳しい暑さが続くものの、立秋の頃からは秋の気配が感じられる。その暦どおり、一昨日までは南寄りの熱風が吹いていたが、昨日からは北東寄りの涼しい風に変わった。体がとても楽である。

私の生家は猛暑で有名な群馬県館林市の近くで、昔も暑かった。それでも、夏休みの絵日記に記録した最高気温は32~33度どまりであったように記憶している。

ところが、今世紀に入った頃からは猛暑が半端ではない。エルニーニョ現象による冷夏でもならない限り、9月になっても35度以上の猛暑日がある。こうなると、暦の上の立秋を過ぎても、もはや残暑とは言いがたい。

農場では、水をやれる畑で栽培すれば、夏野菜は暑いほどたくさん採れる。胡瓜やオクラはスクスク伸びるので、毎日休まず2回、早朝と夕方に収穫しなければならない。嬉しいような辛いような、・・・・・・・・。秋の彼岸くらいまでは、収穫を休めない。体力勝負の季節である。

そんな訳で、この時期は十分な体調管理が必要となる。刻々と変化する体調を敏感に自覚し、適切に対処する。医者はもとより、他人の介護に頼ることなく、自ら我が身を守るしかない。

もとより誰でも、生ある限り、我が身を守りたい。幸せになりたい。しかし、そのためにとる行動が、自分本位で他者の犠牲の上に成り立つものであると、必ずや争いの元になる。

社会や国家も基本的に同じである。自立した社会、独立した国家であろうと思えば、その構成員は「自ら我が身を守る」という自覚と生き方が欠かせないが、他の社会、他の民族、他の国の犠牲の上に成り立つものであると、その行くつく先は戦争である。

70年前の今日、長崎に原爆が落とされた。けた外れの威力で一瞬のうちに、広大な面積を焼きつくしてしまった。我が身を守る術もなく、時もなく、殺される直接の理由もなく、ただ「敵国民」という理由だけで。まさに、究極の戦禍である。

今から30年ほど前になるが、アフリカの辺境国ソマリアの、そのまた辺境の地に設営された難民キャンプで活動していた時、宋 由貴(そう ゆうき)氏を団長とする少林寺拳法グループの方々が視察に来られた。難民支援の具体的な行動を模索されてのことである。私は、その時はじめて知った、彼らの行動理念が今でも忘れられない。それは、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」というものだが、社会の健全な有り様を平易な言葉で表わした、実に奥深い教えである。

時代は再び物騒になってきた。こんな時こそ、上述の「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」という教えを胸に、他者に犠牲を強いることなく、叡智と忍耐と努力をもって我が身を守ることが人類に求められているような気がしてならない。

(文責:鴇田 三芳)