第105話 四配

百姓雑話

「四配」は私の造語で、いつもこれを心にとめて営農してきた。

一つ目の「配」は「目を配る」ことである。農薬を使わない農法では、とにかく観察が決め手である。日々、作物などに目配りし的確に状態を把握する。それを怠ると、害虫の餌食になり、病気に冒されてしまう。また、一緒に働いている者の作業や健康状態などにも目配りしなければならない。

二つ目の「配」は「気を配る」、あるいは「心を配る」ことである。周囲を観察して気づいたことをどう認識し、経験や知識などに照らしてどう対処すべきか考えることである。適切な対処方法が思いあたらない場合は、本やインターネットで調べたり、詳しい方に教えてもらうことも必要になる。

三つ目の「配」は「手を配る」こと、つまり実行すること、あるいは手配することである。対処すべきことに優先順位をつけ、具体的に段取りをくみ、必要であれば他者に協力をお願いする。また、実行したことを評価したり、適時適切な修正を加えることも常に留意しておかねばならない。

そして、四つ目の「配」は「富を配る」ことである。仕事とは何かの富を得ようとする行為であるから、失敗や大きな状況変化がない限り、とうぜん手元に富が入ってくる。現代では、富のほとんどはお金という形であるが、農業の場合は自給用の農産物も富の一つである。特に多くの種類を通年栽培していると、自給用といえどもかなりの量になる。それらの富を、一部の者が独占することなく、関係者に不満が残らないように分けることが重要である。

私の郷里、栃木県足利市に「相田みつを」という書家がおられた。詩人でもあり、独特の筆づかいと平易な言葉で心にしみる詩をたくさん残された。その中に、「うばい合えば足りぬ わけ合えば余る うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ」という詩がある。確かに、争いのほとんどは奪い合いから始まっている。

暮れも押しつまって、街はクリスマスに彩られている。子どもたちはサンタクロースの訪問を待っているだろう。北欧だけでなく、世界中にサンタクロースのような人々が溢れ、富を分かち合えれば、貧困や飢餓などほとんど起きないはずである。だが、「言うは易し、行なうは難し」なのである。それは恐らく、私たちの欲が多過ぎるからであろう。先の詩を書いた「相田みつを」でさえ「にんげん 我慾のかたまり にんげんのわたし」という詩も残しているくらいである。

ときどき妻から、「もう少し仕事を減らしたほうがいいんじゃないの。あなたは欲が多過ぎるんですよ。」といさめられる。妻の言うことは十分わかるのだが、競争社会の真っただ中を生きてきた団塊世代としては、悲しいかな、骨の髄まで染みついてしまった欲がなかなか抜けないのである。

しかし、還暦を過ぎ体のあちこちにガタがきたことでもあり、閻魔大王から厳しい判決を受けないように、来年からは我欲を少しずつでも削っていこうかな。

(文責:鴇田 三芳)