第2話 空気

百姓雑話

人は空気を吸う。ごく当たり前のことである。生まれたばかりの赤ちゃんでも、何よりも先に呼吸しようと努力する。生死がかかっている。生きるうえで空気がもっとも重要である。食の安全性よりも重要であると私は思っている。

では、私たち大人はどうであろうか。意識的に呼吸をしている人はどれほどいるだろうか。まして、必死に呼吸している人など極めてまれであろう。放射能汚染が気になり西日本から食材を取り寄せている人が、閉鎖的な部屋で、空気が汚染された状態で過ごしている、などということはないだろうか。

私の長兄は、肺を患い、還暦前に亡くなってしまった。肺の病の治癒は難しいという。見舞いに行くたびに、苦しそうに激しく息をしている様子が今でも目に浮かぶ。おそらく、兄は職業病であった。長年、キュウリのハウス栽培で生計を立ててきたからだろう。

キュウリは夏野菜だが、冬場の方が値段か高い。だから、無理して冬場にハウスで重油を燃やして栽培する。とうぜんキュウリに病気が発生しやすくなる。農薬を多用する。マスクをしていても、一定割合は吸い込む。そして悲しいかな、農薬が気化してただよっている中でも、キュウリは毎日収穫しなければならない。少しでも大きくなり過ぎると、値段が下がってしまうからだ。「そんなに危険なら、農薬散布を減らす努力をすればいいではないか」と言ってしまえば、それまでだが。

しかし、夏野菜を冬場でも欲しがる消費者にも問題があるのではないだろうか。
私は長年、駅の構内を賃借し、野菜を直売してきた。冬場でも、「トマトがないの?」とか「キュウリはないの?」と聞いてくるお客さまがいる。かつては「すみません、作ってなくて」と一応わびた。しかし今はこう言うことにしている、「冬にトマトはできません」と。わるびれずハッキリ言う。それが自然の摂理というものだ。

農薬づけの農産物の裏側には空気汚染による農民の健康被害もある。

消費者の皆さまには、農民が命を削ってまでも生産しなくていいように、また皆さまの健康の観点からも、旬を逸脱する農産物の消費を抑え、より安全な農産物をもっと食べていただけるよう、心よりお願いしたい。

(文責:鴇田  三芳)