私は東の空が明るくなると目を覚ます。それから起床するまでの30分ほどの間、うつらうつら瞑想しながら、布団の中でストレッチする。急に起き上がると足腰を傷めかねないからである。この30分ほどの時間は非常に貴重で、その日の作業の段取りを考えたり、課題の解決策を探る。たまには突飛なアイディアがひらめくこともある。疲れが残っていると、また浅い眠りに入り夢を見る。夢を見ながら、「もし、あの時に・・・・・・」と後悔の念を抱くこともある。大学であまり勉強しなかったからか、留年しそうになる夢は年に何度も見る。ところで先日、柄にもなく、日本国民や東南アジアからの留学生の前で演説する夢を見た。時代は日露戦争で日本が勝利した直後。目覚めた後も、演説の内容をかなり覚えていた。たぶん、かつて非常に感銘を受けたチャップリンの映画「独裁者」のラスト・シーンに影響されたようだ。演説の内容は以下のようなものであった。「皆さん、日本はロシアを相手に戦い勝利しました。アジアの東の端の小国が大国ロシアを負かしたのです。欧米列強がアフリカやアジアの国々を次々に植民地化して以来、アジアの人民が欧米列強を初めて打ち破ったのであります。これは、歴史的快挙であり、民族の誇りです。将来また日本に国難が襲った時に勇気と自尊心をしっかり持てるよう、この勝利を語り継ぎ記録に残さなければなりません。・・・・・・」「しかし、私たちは今こそ、決して驕(おご)らず高ぶらず、しっかり過去と未来を見つめなければなりません。ゆめゆめ、我を忘れ、西欧列強と同じような過ちを犯してはなりません。萬世(ばんせ)に名を汚してしまいます。・・・・・・」後から振り返れば、あの時の日本人の我を忘れた高揚感の暴走が90年ちかくたった今でも外交上の足かせとなっている。歴史に「もし」は決してない。そして、それはもちろん、ひとり一人の個人も同じである。だからこそ、先人に学び、現実を沈着冷静に見つめ、未来への選択を誤らないようにしなければならない。と痛感しつつも、私は人生の大事な岐路で何度も選択を誤ってしまった。人生などとは所詮(しょせん)そういうものなのだろうか。広島に原爆が落とされて72年。暑い夏だった。はたして、トルーマン大統領の決断は適切だったのだろうか。もし、日本に原爆が落とされていなかったら、その後の日本は一体どうなっていたのだろうか。
(文責:鴇田 三芳)