第6話 空気:スギ花粉の問題

百姓雑話

「スギも命の危機を感じているからでしょうね」と、ボランティアの阿部さんが指摘された。生き物は、命の危機を感じると子孫をたくさん残そうとする。野菜ではよくある現象だ。人間も同じであると私は思っている。難民キャンプでその日暮らしを続けている人々は、明日をも知れない境遇にもかかわらず、子だくさんである。イスラエルと対立しているパレスチナの人々も子だくさんだ。スギも例外ではないだろう。

今年の冬は、例年になく寒いため、スギ花粉の飛びはじめが遅い。しかし、立春を過ぎたので、その時期が迫っている。農場の周囲にもスギがあり、昨春はとことん苦しめられた。強風で黄色い煙のように舞い上がる様は恐怖の光景だ。スギ花粉による空気汚染は農薬よりも厄介だ。何しろ逃げ場がない。極端に言えば、日本中の空気が隅から隅まで汚染されるのだから。これは、明らかな公害であると私には思えてならない。

思えば、スギ花粉症は私のいちばん長い友だ。十代後半からの付き合いだから、かれこれ40年近くなる。この病気が世間に知られる前からだ。かかりつけの医師に「アナタほどの患者は珍しい。特別です。」と言われるほどだ。

そんなわけで、2月から6月いっぱいは薬を飲み続けなければならない。それも、もっとも苦しい時期はステロイド剤を服用することになる。農薬をふくめ「薬」と名のつくものに抵抗感をいだく私は、インフルエンザが発症しても薬はいっさい飲まず、寝て治す。そんな自分が5ケ月間も薬を飲み続けるのは、屈辱的であり、汚点でもある。「花粉症が治ったら、死んでもいい」と半分冗談を言うことさえある。

年々、スギ花粉症に悩まされる人が増えているそうだ。個々人の苦しみだけでなく、医療費の増加、労働の意欲・時間・効率などの低下は大きな社会的・経済的ロスである。何とかならないものか。

(文責:鴇田  三芳)