「農業は草とのたたかい」とよく言われる。実際そのとおりである。だから農家は、除草剤を散布し、トラクターで頻繁に農地を耕している。このような対策は農地を悪くするだけなのだが、これをやめた途端に農地は草ぼうぼうになり、放棄地となっていく。何世代も、何百年も営々と続けてきた草とのたたかいは、たった1年の怠慢で空しい徒労となってしまう。
有機農業では、とうぜん除草剤は使えないので、草とのたたかいは熾烈を極める。少し大げさに聞こえるかもしれないが、有機農業で喰っていけるかどうかは草とのたたかいが決め手になることが多い。そして、ほとんどの場合、草に負ける。
私も、何度も負けそうになった。広い面積の畑が雑草で生い茂ってしまった盛夏、旧式のトラクターで耕すと、イネ科の雑草がトラクターの回転刃に絡みつき、ちょっと進んでは鎌で草を取り除き、また進み、また取り除くという気の遠くなるような作業を数年前まで繰り返してきた。そんな時、農業をやめたくなったことが何度もある。それでも続けてこられたのは、研修生やボランティアの支援があったからである。
そんな過酷な作業を繰り返してきて、やっとたどり着いた結論は、「草を単に敵とみなさず、草とつき合い、時には草も活かす」ことである。しかし、これを適切かつ適時に実践するのはなかなか難しい。頭では分かっていても、体がついてこないからだ。
私どもの農園を尋ねて来られた方々が一様に口にするのは、「畑の周辺は草だらけだが、畑の中はきれいだ」という印象である。その一例を紹介したい。
初めの写真は枝豆の畝がヒメシバという草に覆われている光景である。この草によって強烈な太陽の光が抑えられ、枝豆の日焼けが防げる。枝豆の収穫が終わるとただちに草を刈り、果菜類の畝に敷き、土の乾燥を抑える。二番目の写真である。そして三番目のように、草を刈った区画はトラクターで耕し次の作物の畝を作る。この畝は、ヒメシバの深い根によって排水性が良くなり、土の中に残った切り株や根は有機物として土を豊かにしてくれる。つまり、草が3回も役に立ってくれる。
今から30年ほど前のことだが、パレスチナ難民を支援する人が書いた文章の中に、イスラエルに虐げられても負けない庶民を「草民」と表現していたと記憶している。その頃は農業をしていなかったので、ピンとこなかったが、今から思えば実に良い表現である。
かつて、アメリカ合衆国第35代大統領J.F.ケネディーは、その就任演説の中で、「国があなたたちのために何をしてくれるかではなく、あなたたちが国のために何ができるかを考えようではありませんか」と訴えた。たぶん彼は、「大国にのし上がった合衆国の国力を維持・増強するには国民をいかに活かすかが重要である」と思ったのであろう。そう私は想像している。
(文責:鴇田 三芳)