7、8年前になろうか、北海道大学の長谷川英祐先生がNHKラジオでアリについて話された。とても示唆に富んだ研究に目から鱗が落ちたような気がした。リスナーの反響がとても多かったらしく、再放送された。
アリも、人間と同じように、集団で暮している。「女王アリを頂点に、すべての働きアリたちが一所懸命働き、社会をうまく機能させている」と私たちは思い込んできた。イソップ寓話「アリとキリギリス」でもアリは働き者として描かれている。
ところが、長谷川先生の観察によると、働きアリの2割ほどは、働かず、ぼーとしていたり、好き勝手なことをしている。しかし、それまで働いていたアリを取り除くと、働いていなかったアリがしっかり働き始めるのだという。長谷川先生は、「すべてのアリが必死に働くよりも、働かないアリがいる場合のほうが、平均して長く集団を存続できる」と分析している。興味のある方は先生の著書「働かないアリに意義がある」を読んでいただきたい。
アリの社会が持っている「ゆとり」は人間社会でも重要であり、農業を営む上でも不可欠である。農業は、1年や2年で完結する仕事ではない。本気で関わるなら一生の仕事になる可能性が高い。したがって、ただ体を動かすだけでなく、時には心身をリフレッシュしたり、じっくり考えることも必要である。やみくもに働くのは水槽の中でクルクル泳ぎ回る金魚のようなものである。
話しは変わって、指の話し。人類が、今のような文明に到達した理由はいくつかある。確か中学生の時、「二本脚で歩くようになったから」、「言葉を巧みに使えるようになったから」、そして「火を使えるようになったから」と教わった気がする。現代では、どうのように学校で教えているのだろうか。
それらに加えて、「人類が巧みに手を動かせる」ことも多きく影響したのではないかと私は思っている。とりわけ、他の生物に比べ親指の動きが際立っており、微妙なタッチや繊細な動きが可能である。さらに、親指の先端は他のどの指とも合わせることができる。これらの結果、人類は巧みに道具を作り、それらを使いこなせたのだろう。現代では、携帯電話やスマホの操作は親指で行なっている。まさに、親指の成せる業である。
ところが現代の若者は、親指を巧みに使える割には、どうも手全体の動きが鈍く、不器用なように私は感じている。農作業を一緒にしていても、事あるごとに見受ける。たぶん、幼い時から親指でゲーム機のキーを押し続けてきても、遊びや生活の中ですべての指を複雑に使いこなす訓練をしてこなかったためであろう。
人間が本来持っている「指や手を巧妙に動かす」能力は、農業をするうえでも非常に重要なのである。いくら農業に関する知識があっても、どれほどの体力があっても、指や手を正確かつ素早く動かす能力が劣れば、ゆとりなど生まれるはずもなく、当然、じっくり考えることなどできなくなるのである。
(文責:鴇田 三芳)