還暦を過ぎた頃から、「あの頃は・・・・・・・」とよく回顧するようになりました。時代が急変しているからか、単に年をとったためなのか、昔を懐かしむことが増えてきました。その当時はイヤでイヤで仕方なかった過去の暮らしや出来事でも、今では「良かったなー」と思えるのです。
ところで、私の生家は専業農家で、一時期は一家15名の大家族でした。家族総出で働いても貧しく、ご飯にはいつも大麦が混ぜられていました。いわゆる「麦飯」です。お釜を開けると、あの独特の臭いがプーンと湧き上がり、食欲がなえたことを今でも鮮明に憶えています。
昔から白米のご飯は、「銀シャリ」と呼ばれ、高い身分や財力を象徴するものでした。農民や貧しい庶民は、銀シャリに憧れを抱き、祝い事などの特別な時しか食べられませんでした。まさに豊かさの代名詞でした。また、江戸時代までは、お米が通貨と同等の働きもしたくらい、日本人には切っても切れない存在でした。
ところが、お米は白米にするとビタミンB1などの栄養素が激減してしまいます。余談になりますが、昔から白米を常食していた人たちは脚気(かっけ)を患い、太平洋戦争中は陸軍兵士が脚気に悩まされたそうです。
このような訳で、今では雑穀米が健康的に優れているともてはやさ、大麦にもまた出番が回って来ました。
また戦後、膨大な数の日本人が田舎を捨て豊かさを求めて都会に集中してきました。私もその一人です。田舎暮らしがとても嫌でした。先進諸国を追従するように、中国をはじめ世界中の発展途上国でも起きている現象です。
ところがどうしたことか、日本ではバブル崩壊の前後から、田舎生活に憧れ田舎暮らしの良さを再発見して移住する人が徐々に増えてきました。さらに、アメリカの生活スタイルに魅了された大多数の日本人は自家用車をこぞって買いました。これも豊かさを確実に実感させてくれました。就職した男子が真っ先に買ったのは、もちろん車。車を運転しない男子など女子に見向きもされなかったからです。
それが今では、どうでしょう。
これらの例は、バブル崩壊を境に豊かさの内容が多様化し、あるいは変容してきたことを示しています。
それにもかかわらず、右肩上がりの社会を生きてきた戦後世代のほとんどは「豊かさ=物」という観念に今でもとりつかれています。生活に必要な物に十分満たされ、バブル経済の崩壊を体験したにもかかわらず、その観念を払しょくできないまま老後を迎えつつあります。そして、「豊かさ=物」という観念にほとんど執着していない若い世代を圧迫しています。合法的に搾取していると言えなくもありません。
かく言う私も、わかっているつもりでも、なかなか物欲がおさまりません。物を失うことに戸惑いと不安を感じます。
しかし、還暦を過ぎた頃から貧しかった昔を思い出すのは、もしかすると物質的な豊かさに疲れ、死期が迫り、それとは違う豊かさを内心求め始めているのかもしれません。
(文責:鴇田 三芳)