第228話 死して、なお尽くす

百姓雑話

皆生農園のある白井市は、都内にアクセスする北総鉄道沿いは都市化されていますが、中心街から車で5分も走れば昔ながらの農村風景が残っています。森や林もいたるところにあり、野生動物をよく見かけます。夜中に車を走らせると、タヌキや野ウサギなどにも出会います。そして、悲しいことに、夜行性のタヌキは、車のライトに幻惑され、たびたび車の犠牲になってしまいます。

3月の中旬にも、農場の近くの道路で立て続けに2匹のタヌキが車に引かれて亡くなりました。死亡した場所がほとんど同じであったので、もしかすると家族かもしれません。1匹目は誰かがすぐに片付けましたが、2匹目は、たちどころにカラスの群れに食べられ、尻尾以外はまったく原型をとどめてなくなってしまいました。

私の祖父は、長く喘息(ぜんそく)に悩まされ、働かず家で療養していました。その祖父は、私と一緒に相撲を見ている時に、激しい発作が原因で亡くなってしまいました。小学校の最後の日、つまり卒業式が祖父の告別式でした。卒業式が終わると走って家に帰り、祖父を埋葬する葬列に加わりました。葬列は、墓地の近くの広場で3回転半回り、祖父を棺ごと墓地に埋めました。いわるゆ「土葬」です。祖父の肉体は、ゆっくりと土の中で分解し、他の生き物の命を育んでいきました。

ところが、ある時期から日本では、衛生上の理由からか土葬が禁止され、火葬され灰にされ骨壺に入れられ墓石の下に保管されるようになりました。死んでもなお、何の役にも立たず、火葬でただ空気を汚すだけです。

それだけならまだしも、私たち高齢者は戦後の自由と豊かさを十分に享受し、その揚げ句に若者や将来生まれてくる人たちに膨大なツケを残そうとしています。

(文責:鴇田 三芳)