昔は人力あるいは家畜の力を借りて、人は農地を営々と耕してきた。「農耕民族」とか、「人類は、農耕を始めたことにより、高度な文明を築いた。」などと言われるように、農業と耕すことは一体に語られる。今この辺の多くの畑でも、何も植えられず、きれいに耕してある。秋からほうれん草などの葉菜や大根などの根菜を作付けるためである。
では、なぜ人は農地を耕すのか。自然界では、人が土を耕さなくても、必要な水があり気候条件が悪くなければ、豊かな植生が育まれる。にもかかわらず、人は耕す。
そこで、今回は、耕すことの功罪、つまりプラス面とマイナス面を比較してみたい。
プラス面として一般的に考えられていることがいくつかある。土を軟らかくする。その結果、種が蒔きやすくなり、排水性が良くなる。肥料を土の中に混ぜられる。草の悪影響を抑える。そして、草との関連で、害虫の発生を抑えることもできる。農家以外の方のために草と害虫の関連を補足すると、夏に草を生やしておくと草に大型害虫が発生するのである。土の中に幼虫や蛹(さなぎ)が残ると翌年まで被害が及ぶ。そんな事情で、冒頭でも述べたように、ほとんどの農家はトラクターできれいに耕し秋を待つ。秋に何も作付けない場合でも、ただ耕すだけの農家もいる。隣接する農地に悪影響が及ぶからである。
さて、耕すことのマイナス面、つまり罪を挙げる。第一に、手間がかかる。第二に、機械が必要である。第三に、頻繁にトラクターで耕し続けると、地表から20cmくらい下に耕盤という硬い土の層ができ、水はけが悪くなる。農民であれば、誰でもこれくらいは知っている。しかし、これ以降は農家でも意識していない人が相当多いのではないだろうか。それは、耕すことによって土の中に酸素が大量に供給され、微生物が急激に増殖する。その際、微生物は土の中の有機物をむさぼり喰うので有機物が激減し、結果的に微生物が急速に減り、地力が低下してしまうのである。そして、病気が発生しやすくなる。第五に、裸地にすると、森を切り拓いて砂漠を造るようなもので、地域の気温がグンと高くなり、ミニ温暖化が起きる。
そして、もう一つ重要なことがある。それは、ただ耕すだけで何も作付けないと、絶好の稼ぎ時を逃すことである。夏は、光合成に不可欠な太陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぎ、高い気温が光合成を促進するので、露地栽培でも野菜がどんどん採れる。ハウス栽培の果菜類(トマトや胡瓜などの実のなる野菜)がほとんど出回らないこの時期に、おいしく栄養豊富な果菜類がたくさん得られる。もちろん露地栽培のため、台風に代表される自然の脅威というリスクもあるが、自然の恵みをふんだんに頂けるのである。
このように見てくると、トラクターという大型機械が普及した現代では、「農業とは耕すこと」と必ずしも言えない。私も機械を使って耕してはいるが、耕盤を作るトラクターはできるだけ使わず、使う場合でも必要悪という認識でいる。
(文責:鴇田 三芳)