第84話 心の時間

百姓雑話
これはテストえです

とにかく忙しい。一年でもっとも過酷で多忙を極める季節になった。この時期だけでも、もっと人手が欲しい。

皆生農園では、50種類ほどの野菜を栽培し通年で直売している関係で、常に10種類以上の野菜を収穫している。とりわけ夏は、トマトや胡瓜、茄子やオクラなどの夏野菜が目いっぱい採れ、それらの収穫の合間をぬって秋冬野菜の作付けをこなさなければならない。キャベツ、ブロッコリー、人参、レタス、小松菜、ルッコラ、大根、蕪、ほうれん草などを次から次へと計画的に蒔いていく。これからの2ヵ月間は、寝苦しさと疲れからくる睡眠不足を克服し、朝の6時から夜までフルに働く毎日である。まさに体力勝負、気力勝負である。余談だが、今まで1名を除き、この過酷な季節にすべての研修生が体調を崩してしまった。それくらい過酷な季節である。

ところで、朝から夜まで忙しく働いているためか、一日が本当に短く感じられる。そんな多忙な中でも、ほっと一息ついて過去に想いを馳せれば、毎日遊んでばかりいた幼い頃が目に浮かぶ。あの頃も、あっという間に一日が過ぎてしまった。学校から帰れば、ランドセルを放り投げ宿題などそっちのけで、外に飛び出して行った。日が暮れ、遊び疲れて家に帰ると、もう朝になっていた。

そんな幼い頃の時の流れが思春期の頃からゆっくり進むようになった。将来への漠然とした不安と希望が同居し、能力の限界を感じつつも根拠のない可能性を信じていた。試行錯誤を何度も繰り返し、時を一歩一歩刻んでいた頃が人生でもっとも輝いていたような気がする。語り尽くせない程の、本当にいろいろな体験をした。いや、いろいろな体験をさせてもらった。今は亡き両親や兄姉たちはもとより、今となってはなかなか会えない友人たちや職場の上司の方々、そして社会にも、本当に感謝である。

ところが50の頃から、人生の山を越え、幼い頃に逆戻りしていくように感じられる。その発端は更年期障害であった。女性だけのものではなく、男性にもあるらしい。私の場合、2年間も膝の痛みに悩まされ、仕事どころか、歩くこともままならない日々が続いた。農場は研修生に任せ、病院をはしごした。3か所目の整形外科の開業医が「薬や治療では根本的には治りません。自分で日々筋肉を鍛えるしかありません。」と言われてしまった。

今から思えば、その儲け心のない医師からとても大事なことを教えてもらった気がする。人生の終わりに向かう生き方である。そして、そのような生き方を意識するようになってから、忙しさに追われ毎日があっという間に過ぎ去っていくのとは反対に、なぜか心の時間はゆっくりと流れ、何かにつけ思いは過去へ過去へと向かうようになった。その記憶の中の過去は、胎児を抱く子宮のように、老いる肉体をそっと包み込み、心の中に何か温かなものを灯し始めたような気がする。この心の中のほのぼのとした灯が消える時、たぶん、人生の終わりを迎えるのだろう。

さてさて、あなたの心の時間はどんなふうに流れているのだろうか。心の中に灯は温かく燃えているだろうか。

(文責:鴇田 三芳)