第116話 安全とコスト

百姓雑話

安全の確保にはコストがかかる。残念ながら、それが現実である。社会が豊かになり複雑になるにつれ、安全コストが膨らんできた。

30年以上も昔になるが、仕事でアフリカに向かう途中、乗り継ぎでインドのデリーに立ち寄った。空港内のトイレで用をたし始めたその時、突然トイレの電気が消え、誰かが私のすべてのポケットを物色したのである。男性ならわかるだろうが、そんな時に抵抗などできるはずがない。昔より治安の悪くなった今の日本でも、なかなかこんな体験はできないだろう。このような体験を海外で何回もしてきた関係で、安全を確保するには不断の注意と膨大なコストがかかると私は痛感している。

ところで、私たちの安全を確保するものと言えば、昔なら自衛隊と警察のほかには、身の回りにそれほど多くはなかった。それが今では、実にたくさんの組織や制度、機械やシステムなどが私たちの生活を四六時中すっぽり包み込み、実に多くの人々が安全確保に携わっている。当然のことながら、相当なコストを私たちは負担している。にもかかわらず、空気と水と安全はタダと思いがちな日本人は、日頃ほとんど意識していないのではないだろうか。30代の研修生に「私たちの安全は何によって確保されているか?」と問うてみても、案の定、自衛隊と警察しか即答できなかった。

8年ほど前、最寄りの駅の真ん前に高層マンションが建った。そこに住む方に野菜を宅配する時、警備の厳重さに驚いた。部外者の入口は1カ所しかなく、インターホーンで訪問先の方が解錠しないと入れない。新聞や郵便を受け取る場所も外界と遮断されている。戸建てなら宅配の授受で玄関を開けなければならないが、そのマンションでは宅配も守衛人が受け取ってくれる。外界と隔絶され安全が隅々まで確保されていた。

他にも、安全確保のシステムはたくさんある。信号機や交通標識、長大な河川の堤防や港の防波堤、医薬品の何段階もの安全試験、上空から眺めると星々のように輝く無数の街灯、大小さまざまな警備会社などは昔からある。近年は通信網のセキュリティー・システム、隅々まで張りめぐらされている監視カメラ、宇宙から地上を監視している偵察衛星、・・・・・・・・。本当に挙げたらきりがない。これらのために費やされている安全コストを累積すると、たぶん自衛隊などの防衛予算を超えるのではないだろうか。

そして、今後さらに膨大な安全コストを私たちは負担しなければならない。それは、老朽化したビルや橋、トンネルや上下水道網などのインフラ補修のコストにくわえ、終わりの見えない原発事故の後始末と核廃棄物の処理コストである。これらの安全コストは、想像も試算も難しい。たぶん有益なものを新たに生産することもなく、財政的な負担が私たちの未来を重苦しくするだけだろう。そのことを痛烈に知らしめた原発事故から、もうじき3年になる。

(文責:鴇田  三芳)