上旬から続いていた秋雨の季節が今週は少しおさまるようです。実りの秋が訪れ、おいしい新米が食欲をそそります。体は本当に正直です。そんな訳で今回は、食に関係することを書こうと思います。食と言っても、食べるほうではありません。
親しい人にしか話したことがないのですが、私は昔から大便がとても気になっています。その発端は幼いころのトイレ体験、いや便所体験と言ったほうが正確かもしれません。私はど田舎生まれのため、生家も小学校も汲み取り式便所、いわゆる「ポットン便所」でした。子どもの頃から嗅覚が鋭かった私は、とにかくあの悪臭の満ちた空間に入るのが死ぬほど嫌でした。そのため、小学校からの帰り道、30分以上もかかる家までもたず、何度か漏らしたことがありました。
ところが何と中学校は、ど田舎にもかかわらず、三階建ての鉄筋コンクリートの近代的な校舎で、もちろんトイレは水洗。10年近く悩まされてきた便所から解放され感動すら覚えた記憶があります。
さて、ここからが本題。
電車に乗る時、まず乗客が出てから乗り込みます。たぶん万国共通でしょう。そして、電車に入るのも出るのもまったく同等の行為です。植物でも、根から水が入るのと葉から出ていくのと、どちらも同等に重要です。葉から水の出が悪いと、人間でいえば便秘状態に似ていますが、植物は病気にかかりやすくなります。経済活動でも同じです。入ったお金はあまり留めずに出していき、世の中のお金がほどよく回らないと深刻なデフレになります。
ところが私たちは、食物を入れる行為が重要で、大小便を出す行為を軽視しがちです。後者を「恥ずかしい」と隠ぺいすらしています。摂取に関しては、栄養学だの食物学だのと学問化され、はたまたダイエットだのと実に多くの人たちが強い関心を抱いている一方で、大小便の排泄に関する学問は一般的になっていません。
これは大きな間違いです。
自慢めいた余談ですが、私は飲食にとても気をつけています。毎日に必ずプレーン・ヨーグルトと納豆を食べ、朝は玄米を食べています。その関係もあって、非常に胃腸の調子が良く、ここ10年ほど、大病は1回もなく、インフルエンザで寝込んだこともありません。オナラはほとんど無臭です。
本題に戻りましょう。私たちが健康を本当に気にするのであれば、もっと大小便に関心を持つべきではないでしょうか。そして、健康管理の観点から学者はもっと大小便を学問化し世間に広く伝え、義務教育の中に食事学と排泄学を盛り込む必要を私は痛感しています。
そうすれば、増え続ける医療費を抑制し、政府の財政を少しは楽にすることでしょう。
それとも、排泄学はビジネスに貢献しないどころか、医療関係のビジネスを圧迫する可能性があり、産業界は抵抗するでしょうかね。
(文責:鴇田 三芳)