私は、いわゆる「脱サラ」農民である。アフリカのソマリアにあった難民キャンプで働いていた時に食料生産の重要性を再認識し、今に至っている。
経験や知識の乏しい駆け出しの頃、有機農業の手法をいろいろ教えてくださった方から、「俺たち農家の敵は誰だか知ってるか?」ときかれた。私は答えに窮してしまった。いろいろな答えが頭の中をめぐり回ったものの、明確に絞り込めなかったからである。そして、彼の口から出たことは予想もしなかった衝撃的な言葉であった。今でも鮮明に憶えている。「となり近所のじいさんやばあさんさ。近所付き合いはしてるけど、連中が俺たち専業農家の敵だぜ。連中はよ、年金や子どもたちの所得があるから、小遣い銭稼ぎに野菜を作ってる。だから、値段なんかどうだっていいのさ。連中の安い値段に引っ張られて値崩れするから、生活をかけて農業している俺たちは苦しくてしょうがない。」と。その時は、「きつい言い方だな。」と思ったが、「怒りと諦めがない交ぜになった彼の発言は、日本の農業事情を鋭く指摘している。」と後になって私もわかった。そして後々、私も彼の言葉を噛みしめることになった。
もとより、誰しも敵は作りたくない。無用な争い事は起こしたくないし、精神衛生上も良くない。時には命を落とすことさえある。だから人類は、人間関係を大事にし、言葉を駆使し、争いごとの少ない社会を築こうと努力してきた。
しかし残念ながら、なぜか人類は結果的に敵を生んでしまうような社会を築き、世界を巻き込む悲惨な戦争を二度も起こしてしまった。また、普通の人の回りにも、程度の差こそあれ、なぜか敵ができてしまう。望んでいないにもかかわらず、なぜか敵が現れる。あるいは、自分が相手を敵と認識してしまう。なぜなのだろうか。
ジョン・レノンの「イマジン」に強く影響を受けた私はこの問題をずーっと昔から考えてきたが、すんなり納得できる答えが見つけられないまま、還暦を迎えてしまった。
ところが今春、星野昌子さんの叙勲を祝う会に参加し、その答えを見つけられたような気がした。彼女は、難民救援などの活動を行なっていた日本国際ボランティアセンターという民間団体の事務局長を長く務めてこられ、私を今に導いて下さった恩人である。盛り上がっていた会場を彼女のスピーチが静寂に変え、参加者の記憶を30年以上も前に引き戻した。彼女は、勲章を頂いてもいいものか迷ったことから話し始めた。そして、「私は、男性中心の日本社会に嫌気がさし、海外青年協力隊の第1期生としてラオスに飛び出しました。その後、インドシナ難民の救援活動に携わってからというもの、私は権力とずっと闘ってきました。ここに今日もいらしておられる外務省の方々とも闘い続けてきました。本当に手ごわい相手でした。(笑)・・・・・・・・・・・・。しかし、この年になって気づいたのですが、最強の敵は自分でした。自分の中にいる敵でした。」
その時、長く探してきた答えが見つけられ、私は深く合点した。
(文責:鴇田 三芳)