立秋の7日から今年2度目の夏が来て、毎日厳しい暑さが続いている。畑の土はパサパサである。お天気任せの露地栽培とはいっても、水をたくさん要求する胡瓜などは水不足で収穫量がかなり減ってしまった。また、これから秋にかけてブロッコリーやキャベツなどを植えるのだが、植えた直後に水をやらないと枯れてしまうことがある。枯れない場合でも、本当にかわいそうなくらい、ぐったり萎れる。
ところで、文明の興亡を検証すると、農業と密接に関連していたと言われている。農作物、とりわけ穀物の豊かな実りが文明を生み支え発展させてきた。その豊穣が、社会にゆとりを生み、文化を育み、分業化社会を築き、そして軍備を増強した。いわば、現在のアメリカ合衆国のようなものである。そして、強大な社会を支えてきた農地が、長く酷使されてきた結果として、荒廃し砂漠化してしまった。私の知る限り、強大な文明国が衰退した原因は、多くの場合、農地の荒廃と密接に関連している。
その農地の荒廃の主たる原因は水である。広く世界を見渡した時、日本のように豊かな実りを何千年も保証してきた地域は極めて少ないのである。日本の自給率が低いと問題視されているが、そもそも人口が多過ぎることが原因であり、耕作面積当たりの収穫量は極めて多い国なのである。その主食である米は、豊かな水と温暖な気候、そして営々と築いてきた水路によってもたらされている。つまり、日本の隅々まで行き届いている灌漑農業の賜物である。
しかし、この灌漑農業が実はくせものである。灌漑とは、雨が少ない地域の農地に川や湖、地下などから水を人為的に供給する方法であるが、これを長く続けると農地が荒廃してしまうのである。いわゆる「塩害」が起きてしまい、農地が砂漠のようになり、何も作れなくなってしまう。この塩害による砂漠化は、強大な文明国が衰退した主な原因となっただけでなく、現在も世界中で起きている大きな問題なのである。中近東やアフリカ、中国、そして膨大な食料を生産しているアメリカ合衆国などでも起きている。世界規模で見れば、食料危機の最大の原因は塩害であると言われている。日本の水田も灌漑しているが、幸いにも、水の清らかさと灌漑システムの素晴らしさが塩害を生まない、きわめて特殊な例である。
水は命の源である。農作物の収穫量を左右する重要なものである。しかし、無理やり水を外から供給する灌漑農業は、長い目で見て、とても危険なのである。そんな危険を知りつつも、枯れそうな野菜を見ると、やはり私も水をやってしまう。
このように私たちは、つい目先の善に目を奪われるが、それを長く続けると将来は悪に変わることを灌漑農業は教えているような気がする。そんな視点で身の回りを改めて眺めてみると、実に多くのことが「目先の善、将来の悪」であることに気づく。例えば、日本の将来を危うくしている年金制度、国力にものをいわせて国土の隅々まで築き上げた各種のインフラ、そして天文学的な金額の国債や公債、原発から排出された未処理の放射の廃棄物、・・・・・・・。実にたくさんの「目先の善」がこれから「将来の悪」に変わりつつある。私たち中高年は、自分たちの勝手な都合で山積みにしてきた負の遺産を、その決定に関与せずその恩恵にもほとんど浴してこなかった若者たちに押しつけつつある。
(文責:鴇田 三芳)