かつて我が家の食卓には市販の風邪薬が常備されていた。特に私は、ちょっと風邪ぎみになると、食事をとる感覚で気軽に飲んでいた。就農後の8年ほどは一人で営農し、野菜を計画販売していた関係で、寝込むことは許されなかったからである。研修生が来てくれるようになってからは、彼らに任せて家で休めるようになった。
ある日、風邪ぎみになり家で休養していたら、妻が「病院に行ったら」と通院を勧めてくれたが、行かなかった。というのも、かかりつけの開業医から衝撃的なことを聞いていたからである。それは、夏の夕立に打たれ、厄介なインフルエンザにかかってしまい、いつものように通院した時である。若い医院長が学会に出席するため、代わりに「大先生」と呼ばれていた老医師が診察してくれた。「早く治したいので、いつものように抗生剤を処方してください」とお願いしたところ、「こんなのは寝てれば治る。そもそも抗生剤はインフルエンザには何の効き目もないんだ」と、何の薬も処方してもらえなかった。後に、「彼こそ名医である」と納得した。それ以来、自分の体力を信じ、インフルエンザくらいで病院には行かないし、風邪薬などまったく飲まなくなった。患者でごったがえす総合病院に行けば、風邪を治すどころか、他の病気をもらって来るのがおちである。費用と時間ももったいない。
そんな私には、医療の素人ながら、医療機関や医療行政に問題があるように思えてならない。例えば、抗生剤に代表されるような薬づけ医療によって、薬代が高くなってしまう。また、ちょっとした症状でも、念のためということで、高価な検査が行なわれるが、これも行き過ぎの場合がかなりあるのではないだろうか。過剰な医療行為の結果、医療費や介護費の増大が国家財政を危うくしているのである。厚生労働省の資料によれば、国民全体の年間の医療費は40兆円に迫り、国民所得の1割を超え、年々増え続けているという。
もちろん、誰しも健康は気になるし、健康を害したら病院に行きたいと思うのは自然な感情であろう。そして、どうせ治療するなら、早く確実に直してくれそうな医療を望む。
しかし、あまりにも医療が度を越していると思うのは、私だけだろうか。医療機関や製薬会社などが国家によって過保護にされているのも問題ではあるが、医療サービスを受ける国民の側にも問題がありはしないだろうか。私には、ほとんどの国民が他人任せの「病院依存症」にかかっているような気がしてならない。たとえ長い年数をかけてでも、健康管理に関する国民の意識を変えないことには、どんな医療改革を進めても医療費の削減にはならないだろう。
そこで以前から、この病院依存症を治療するには「健康経済学」という学問が是非とも必要であると思ってきた。それも、子どもでもわかる学問にしなければ、効果は薄いと思われる。
(文責:鴇田 三芳)