第104話 パパラギ

百姓雑話

31歳の時、ある方から「パパラギ」という本を頂き、引き込まれるように一気に読んだ。サモアの酋長が、白人を「パパラギ」と呼び、訪問した宗主国のドイツと自国のサモアの社会や生活を比較し、彼の理想的な生き方を語っている。いわば文化人類学的な本である。しかし実際は、サモアの酋長ではなく、著者自身が書いたものらしい。

ところで人類は、前話でも述べたように、かつて経験したことのない、大きな転換点に差しかかっている。その原因は、地球のキャパシティーを超えつつある人口、侵略し尽くしてしまったニュー・フロンティアなどの土地の問題にくわえ、制御不能な核物質、瞬時にして豊かな生活を世界的な規模で葬り去ることができる経済活動、感情と欲望の嵐で理性と節度を吹き飛ばそうとしている情報化社会、働けど働けど豊かさを実感しにくい格差社会など、数え上げたらきりがない。かつて人類は、何度も何度も押し寄せる、このような苦難の巨大津波に遭遇したことがあっただろうか。世界各地で起きている暴動や紛争を知るにつけ、民衆の我慢が限界を超えそうな状況に気づかされる。

そんな危機意識を胸に、未来に明るい希望のヒントを求め、「パパラギ」(ソフトバンク文庫)を再読してみた。あらためて心に深く残った酋長の独白から3つ挙げてみたい。

まず「お金」について、こんなことが書いてある。「愛の神について、ヨーロッパ人に話してみるがよい。顔をしかめて苦笑いするだけだ。(中略)ところが、ぴかぴか光る丸い形の金属か、大きい重たい紙を渡してみるがよい。とたんに目は輝き、唇からはたっぷりよだれが垂れる。お金が彼の愛であり、お金こそ彼の神さまである。彼らすべての白人たちは、寝ているあいだもお金のことを考えている。(中略)お金のために、喜びを捧げてしまった人がたくさんいる。笑いも、名誉も、良心も、幸せも、それどころか妻や子までもお金のために捧げてしまった人がたくさんいる。ほとんどすべての人が、そのために自分の健康さえ捧げている。」

また家については、こんな記述がある。「パパラギは、巻貝のように堅い殻の中に住み、溶岩の割れ目に住むムカデのように、石と石のあいだで暮している。頭の上も、足の下も、からだの周りも、すべて石である。(中略)サモアの小屋に吹くような新鮮な風は、どこからもはいってこない。このような箱の中では、サモア人ならすぐに窒息するだろう。(中略)不思議でならないのは、どうして人がこの箱の中で死んでしまわないか、どうして強いあこがれのあまり鳥になり、羽根が生え、舞い上がり、風と光を求めて飛び立ってしまわないか、ということである。だがパパラギは、石の箱が気に入っており、その害についてはもはや気がつかなくなっている。」

さらに時間とその使い方について、酋長は疑問を投げかけている。「(前略)とりわけ好きなのは、手では決してつかめないが、それでもそこにあるもの、時間である。パパラギは時間について大さわぎするし、愚にもつかないおしゃべりもする。といって、日が出て日が沈み、それ以上の時間は絶対にあるはずはないのだが、パパラギはそれでは決して満足しない。(中略)パパラギは時間をできるだけ濃くするために全力を尽くし、あらゆる考えもこのことに集中する。時間を止めておくために、水を利用し火を利用し、嵐や天の稲妻を使う。もっと時間をかせぐために、足には鉄の車輪をつけ、言葉には翼をつける。だが、これらすべての努力は何のために?」

うー、耳が痛い。

(文責:鴇田 三芳)