第103話 諸悪の根源

百姓雑話

かつて日本は、朝鮮半島や台湾へ、中国へ、南アジアへと領土を拡張していった。そして今から72年前の今日、拡張した領土を維持するために、ハワイ真珠湾を奇襲した。本格的に日本が、アメリカに挑戦し始めた日である。冷静に考えれば、勝てる相手ではなかったアメリカに、なぜ当時の日本人は挑んだのだろうか。眠っている熊にミツバチが攻撃するようなものである。歴史の転換点には多くの犠牲がつきものだが、それにしても余りにも多くの犠牲を払ったものである。

ところで今、人類は有史以来の最大の転換点に差しかかっている。そのためか、悲惨な紛争や暴動があちこちで起きている。かつてのような国家間の正面戦争ではないことに、問題の根深さと解決の難しさを私は感じる。比較的治安が良いと言われてきた日本でも、このまま格差社会が拡大していけば、悪いことが次々起こり始めるだろう。なぜそう成ってしまうのか。何が私たちをこうも苦しめているのか。いったい諸悪の根源は何なのか。

こんなことを、1980年代後半のバブル経済が始まった頃から私はずっと考えてきたが、農業を始めてみて「諸悪の根源は土地である。」という結論に達した。冒頭に触れた日本による侵略もその一例である。戦後の日本を振り返っても、土地にまつわる問題が後を絶たない。今でも続く周辺国との領土問題。なかなか解決していない成田空港問題。莫大な利益を上げるため銀行などが行なった土地転がし。その後の不動産バブル。ほとんど無価値の原野を高く売りつけた原野商法。農民でありながら農業を営まず農地を宅地に変えて得た巨額の不労所得。そして耕作放棄地。津波の犠牲者のための高台移転も用地の確保がネックになっているという。私自身も、地主の勝手な都合や私利私欲のために二度も農地を移転させられ、辛酸をなめさせられた。

もともと土地は、誰のものでもない。浮き世に生を受けている間、必要に迫られ、ちょっと間借りしているくらいのものなのである。50坪や100坪ほどの宅地を買うのに、何千万円もの費用がなぜ必要なのか。上物、つまり住宅に一定の費用がかかるのは当然だが、猫の額ほどの宅地を得るために一生を捧げなければならない世の中は、何かむなしい。憲法で保障された生存権にてらせば、おおいに違和感をおぼえる。人は生まれながらにして平等などということは現実にはありえないが、それにしても、生まれながらにして土地を持つ者と持たない者との格差が、あまりにもあり過ぎるのではないだろうか。

たしか私が高校3年生の頃だったろうか、サイモンとガーファンクルというアメリカ人のフォーク・デュオが「コンドルは飛んでゆく」という歌を大ヒットさせた。工業製品にいろどられた物質文明と、強さと速さと便利さを限りなく追求する西洋文明を痛烈に批判した歌が、今でも心に響いている。その中に、こんな歌詞もある。「ここにいた白鳥が飛んでいったように、自分も遠くに船出したい。だけど、大地に縛りつけられた人間は、この世でもっとも悲しい音と声を出すしかない。」

人に恵みを与える大地が、その一方で人の一生を強く拘束している。

つまるところ、諸悪の根源である土地という呪縛から自らを解放しないかぎり、直面している大転換点を人類は曲がりきれないだろう。もはや地球には、希望に満ちたニュー・フロンティアと呼べる土地は見当たらない。人類が末長く生存したいのなら、きわめて受け入れがたいことかもしれないが、今ある土地をどうにか分かち合うしかないのである。

(文責:鴇田 三芳)