第143話 三「安」(1)

百姓雑話

食べ物に欠かせない要件がいくつかある。例えば、安全、安価、安定供給、おいしさ、栄養、鮮度、食欲をそそる香りや外観などが思い浮かぶ。これらの中でも、安全、安価、安定供給という三つの「安」をすべて満たそうと私は長年努力してきた。

しかし、20年以上も努力してきたが、これらをすべて満たすのは今でも実現していない。安全性を追求すればするほど、コストがかさみ、失敗が増え、安価にできなくなる。また、安定的に供給しようとすれば、栽培の難しい時期は失敗やロスが多くなり、やはり安価な提供が難しくなる。

今話は、安全と安価に焦点を当てて、生産現場の視点から述べてみたい。一般論で言えば、食品の安全性のレベルに明確なボーダー・ラインは引きにくい。国が定める安全基準によって一応の目安をつけられるものの、その基準は生産側の都合に合わせて制定されている。その一例をあげる。

10年ほど前、NHKテレビが特集番組で、「関東の高原キャベツの有名な大産地で減農薬を達成した。従来38回使用していた農薬を、研究と努力を積み重ね、半分の19回まで減らした」と高く評価した。しかし、キャベツを栽培したことのある普通の農家であれば、「なんだ、その程度かよ!」と思ったであろう。私の知るかぎり、この近辺でキャベツに10回以上も農薬を使う農家はいない。そもそも、38回も農薬を使うのは論外なのであるが、国の安全基準の範囲内であることには間違いない。

上述のキャベツのように38回も使っていた農薬を半減するのは余分なコストをほとんどかけなくても可能であるが、安全性を追求して農薬の使用を限りなくゼロにしていくとコストが急増する。本州以南のような高温多湿の気候では病気と害虫のリスクが非常に高いからである。安全性の高い野菜をスーパー価格で買いたいと消費者が要望しても、ごく一部の農家以外は、採算上とても対応できないのである。

かつて、ある脱サラ研修生が私に、「こんなに苦労して無農薬栽培しているのだから、もっと高く売るべきですよ。安すぎる」と苦言を呈したことがある。また、ある専業農家から「お前はよー、妻が公務員だから、そんな安い値段でもいいが、俺たち専業農家はそんな値段じゃ喰っていけねーぜ!」と言われたこともある。

諸事情を考えれば、彼らの主張がもっともなのである。今までのような日本の農業事情、医薬品によって健康を維持しようとする消費者の健康意識、不効率な流通システムなどの変化や改善がない限り、安全と安価を両立させるのは極めて難しい。

これが、「より安全な野菜をできるだけ安く」を長年追求してきた私の、残念ながら、結論である。

(文責:鴇田 三芳)