第106話 ミトコンドリア

百姓雑話

成人の細胞は60兆個もの細胞からできている。くわえて、無数の微生物が私たちの体に生息しているという。例えば、体の表面にいる微生物は皮膚を有害な微生物から守り、口から肛門までの消化器の中の微生物は食べ物の消化や吸収に大きく関与しているらしい。もちろん、それらの中には人にとって有害な微生物も含まれている。そして、これら多種多様な微生物の数が人の細胞の数を上回ることもあるという。そうなると、一人の人間はどこまで本人なのかわからなくなってしまう。脳がコントロールできる細胞が人間個体なのか、あるいは同じ遺伝子を持っている細胞が人間個体と規定できるのか、解きがたい問いである。

ところで人類は、飽くなき探求心と好奇心に突き動かされ、多くの謎を解き明かしてきた。その一つにミトコンドリアを私はあげたい。ミトコンドリアは、真核生物の各細胞の中にある小器官で、本体の真核生物とはまったく別にミトコンドリア自体も遺伝子を持っている。ということは、「同じ遺伝子を持っている細胞が人間個体である。」と規定すると、ミトコンドリアは、人間の細胞の中にありながら、人間の一部ではなくなってしまう。

ミトコンドリアは本当に不思議な生物である。独立した一つの生物として生きていたミトコンドリアが、太古のある時期、真核生物の中に入り込み、融和し、悠久の時を一緒に生き延びてきたという。にわかに信じがたいが、その学説が今や定着しているようだ。ミトコンドリアの機能の一つは、糖を分解しエネルギーを効率的に作り出すことである。つまり人間は、体の表面や消化器に住みついている微生物の恩恵を受けているどころか、各細胞の中に取り込まれた別の生物が作り出すエネルギーを使って生きている。余談だが、植物の細胞内で光合成を行なっている葉緑体も、太古の昔ミトコンドリアと同じように真核生物の中に入り込み、今にいたるまで綿々と太陽の光からエネルギーを作り出している。

このミトコンドリアの不思議を知って以来、三つの謎が頭から離れない。

まず、なぜミトコンドリアが真核生物の中に入ったのだろうか。偶然なのか、それとも真核生物が意図的に取りこんだのか、あるいはミトコンドリアが自ら入り込んだのか。

二つ目の謎はエネルギー源の謎である。ミトコンドリアが細胞内に入る前も、真核生物は細胞の中でエネルギーを作り出していたはずであるが、なぜミトコンドリアが作り出すエネルギーを積極的に利用し始めたのだろうか。真核生物にエネルギーを提供しているミトコンドリアには何のメリットや見返りがあるのだろうか。

三つ目は融和の謎である。別の生物の細胞に入り込んだミトコンドリアがどのようにして融和したのだろうか。本当に不思議である。もちろん、他の生き物が細胞内に入り込むことは決して特殊な現象ではない。精子は卵子に入る。ウィルスも細胞内に入り込む。どちらも普通にいつでも起こっている。同じ生物の精子と卵子が融和するのは不思議でもないが、別の生物であるミトコンドリアがどうして融和できたのだろうか。ウィルスは、ミトコンドリアとは異なり、別の生物の細胞に侵入し増殖し細胞を破壊していくことがある。つまり、融和などとは程遠い行動をウィルスはとるのである。

今となっては、この真核生物とミトコンドリアの不思議な関係が発生した理由やプロセスを人類は解き明かせないかもしれないが、その事実からでも何か学び取ることがあるのではないだろうか。何か生き物としての根源的なことを。

(文責:鴇田 三芳)