第154話 姥捨て山

百姓雑話

「姥捨て山」という民話がある。あまりの貧しさに老人を山奥に捨ててしまう話しで、いわゆる「口減らし」の風習を描いている。家族や集団が生き延びるための究極の選択とはいえ、悲しい風習である。かつて難民キャンプで見た光景も同じで、まず働き盛りの男性から限られた食料を食べた。老人や女性、幼な子は後回しであった。食べ物に困ったことのない人が見れば差別的で非人間的なように映るが、あのような状況では仕方ないのである。略奪や紛争、果ては戦争を起こしてまで生き延びようとするよりも、悲しいことではあるが、少しは救いのある選択であると私は思う。

この民話の根底に、ある種の世代間闘争も私は見てとれる。現代では、世代間闘争などという言葉はあまり聞かなくなったが、貧富の格差と世代間闘争は戦争や紛争の原因にたびたびなってきた。ドイツでは、第一次世界大戦の戦後賠償と世界大恐慌のために貧富の格差が非常に大きくなり世代間闘争が激化した。その結果、若者を中心に熱狂的なナチス支持者が増え、状況打開の矛先がユダヤ民族と他国に向けられ第二次世界大戦を引き起こした。ほぼ同じ頃、深刻な経済悪化に見まわれた日本でも、若手の将校が首相などを狙った「5.15事件」や「2.26事件」が発生したが、これも貧富の格差からきた世代間闘争と言えよう。1970年代のカンボジアの内戦の時にポル・ポト政権が行なった虐殺や、1965年から始まった中国の文化大革命もやはり貧富の格差からきた世代間闘争が背景にあったであろう。

そして、日本社会では今、「姥捨て山」とは逆の現象が始まっている。老人が若者を捨てる現象である。定年世代や定年を間近に控えた世代は、若者から職を奪い、確実に年金を受給できるよう政治に圧力をかけている。私もこの世代に属しているので、この世代の気持ちを理解できる。がむしゃらに働き、戦中戦後の廃墟から世界2位の経済大国まで日本を押し上げてきた世代である。「老後くらいは、働かなくても、のんびり豊かに生きていきたい」と願うのはごく自然な感情である。

しかし、その一方で、デフレ社会しか知らない若い世代には、望む仕事に就けず低賃金に悩まされ、結婚をあきらめている人たちがたくさんいる。政府の発表から類推すると、若者の3割くらいを占めているだろう。そのような状況にあえぐ若者は、当然のことながら、年金制度に懐疑的で期待もしていないであろうし、政治に不信感を抱いている。

この「姥捨て山」と逆の社会現象は、上述の「5.15事件」や「2.26事件」が起きた頃の社会状況に酷似している。その当時、貧しい農村から多くの若い娘が売春婦などとして安く売られ、働き盛りの二男三男はハワイやアメリカ、ブラジルなどに移民させられ、満州にも入植させられた。そんな社会に不満をつのらせ政治に強い不信感をいだいた若い世代が武力で世の中を変えようとしたが、老練な軍国主義者に利用されてしまった。その行く突く先は数百万の若者の犠牲と焦土と化した国土であった。

今さら言うまでもないが、歴史は何度も何度も繰り返されてきた。今のような経済、政治状況が続けば、日本でも再び若者が老人世代に反撃する時が遠からず来るであろう。いわば、現代版「姥捨て山」である。現に今、香港や台湾で起きている若者の政府に対する抗議行動は、まさに世代間闘争であり、若者による反撃の始まりである。

実に困難な時代に人類は突入しつつある。

(文責:鴇田 三芳)