第196話 未来を買う

百姓雑話

未来は誰でも買える。

自分の未来がどうなるのか誰もはっきりと予見できないものの、日常的に未来を買っている。日本でも経済が右肩上がりの時代は特に、個人も企業も国家も、社会全体で盛んに未来を買っていた。そして、そのことで生活の質が全般的に向上し便利な世の中になり経済大国になることもできた。

未来を買う例をいくつか挙げれば、健康保険や年金保険、民間の医療保険などがある。掛け金を支払うことは、その時点で見れば、未来を買っているようなものである。税金も同様である。所得税を払わない人でも、買い物をするたびに消費税を払い、自動的に未来を買っている。

ビジネスの世界に目を転ずれば、未来が時々刻々さまざまな場面で売り買いされている。例えば投資がそうである。一口に投資と言っても、多岐にわたっている。製造業が新しい設備や機械などに資金を投じることも、株や債券を購入することも投資である。また、企業が従業員の教育や訓練にかける費用も投資である。どんな分野で活躍するのであっても、他の人より前に出ようと思えば、自分に投資しなければならない。これらの投資はすべて未来を買っていると言えよう。

さらに、コンピューターをウィルスやハッキングから守るために行なう対策も、国家が軍隊などの軍備を維持するのも、やはり未来を買うための投資と言うこともできる。これらの投資は、掛け捨て生命保険と同じで何ら生産的ではないが、いざという時のために欠かせない。

自分の未来がどうなるか明確に予見できず、買った未来が結果的に有益なものになるかどうか定かではないにもかかわらず、なぜ人は未来を買おうとするのか。先の見えない未来に不安を感じるからだろうか。あるいは、より良い生活を未来に期待してのことだろうか。

ところが、私が身をおく農業分野では、すでに何十年も前から農民は未来に失望し、未来を買うどころか、未来を切り売りしてきた。農地は、農地としてほとんど売られることなく、宅地や雑種地となり、先人の苦闘が一瞬のうちに無に帰してしまった。そして、宅地や雑種地として売れない農地は、「耕作放棄地」として野ざらし状態であり、ほぼ再生不能である。再生するには膨大の費用と相当な根気が要るからである。

このまま日本の食料生産が縮小し続けたら、いったい日本人の食を誰が満たしてくれるのだろうか。食料の輸入を否定するつもりはないが、国際情勢が急変したり世界的な異常気象が突発したら、輸入がどうなるのか予測不能である。現にわが国は、第一次世界大戦でドイツと戦火を交えたが、第二次大戦ではともに手を組んで連合国側と戦った。アメリカとの関係も同じような歴史を歩んできた。国境がある限り、そして人類の好戦的な性格が変わらない限り、しょせん国際関係など当てにはならない。

こんな危惧を払拭するには、農業の未来を積極的に買う若者がもっともっと現われること。それしかないのである。

(文責:鴇田 三芳)