第197話 面倒くさい

百姓雑話

歳のせいもあってか、「面倒くさいなー」と思うことが増えてきた。だから、何のかんのと理屈をつけて、ついつい手抜きをする。もちろん、良い手抜きも必要な時があるものの、だいたい手抜きは悪い結果を招く。自分なりに反省し自戒もしていても、どうも改善できない。

さらに近年は、手抜きにとどまらず、やるべきことを放置しやすくなった。農場では、草対策が後手に回りやすく、研修生やボランティアなどの皆さんに頼りきっている。草対策は、非生産的な作業と思われがちだが、「有機農業は草との闘い」と言われほど重要な作業である。それは重々わかっていても、面倒くささが先に立ってしまう。

家の中では、食卓の横に各種の書類が山と積まれている。それら中には、大事なものや期限が設定されているものもある。だが、「どうせ命にかかわる書類などないだろう」と勝手に決めつけ、放置してしまう。ときどき妻が心配し、山の中から大事な書類を見つけ出してくれるので、たぶん、それに甘えているのかもしれない。

ところで、私たち人間は根源的に5つのものに規定されていると私は思っている。それらは肉体、精神、エネルギー、時間、そして社会である。これらをコンピューターに例えれば、肉体はハード・ウエアに、精神はソフトに、エネルギーは電気に、時間は処理スピードに、そして社会はネット・ワークに対比できるだろう。

とりわけ社会は、私たちの想像をはるかに超えた規模と複雑さで、個人の生活や生存を規定し、休む間もなく時々刻々と影響を与えている。自分とはまったく関係なさそうなことが他国の片隅で起きても、経済活動と情報ネット・ワークをとおして、またたく間に自分に影響を及ぼしてくる。3・11の大津波で福島にあった自動車部品の会社が被災した時、そこで生産していた部品の世界シェアが大きかったために、自動車生産が世界的規模で大きく滞ってしまったという。

このように、人類がかつて経験したことがない規模と複雑さで社会が成り立っている現代では、社会は秩序や統率をより必要とする。したがって、法律やルール、○○主義などに個人レベルでも依拠したり、統率されたりする。もちろん、依拠や統率はマイナス面だけではない。プラス面も少なからずある。中でも例えば、人類が考え出した最高のものは民主主義ではないだろうか。数え切れないほどの戦や争いを繰り返し、無数の命を犠牲にして、やっと民主主義という統治システムを手にした。

そんな民主主義でも、生まれつき与えられていた者にとっては、たぶん面倒くさいシステムなのかもしれない。横着な私が書類を山積みしてしまうように、「できれば関わりたくない」と思い、つい民主主義を神棚に飾ってしまう。

今さら私が指摘するまでもなく、主義や主張は具体的な行動がともなって初めてその存在意義を持つ。しかし悲しいかな、自分自身の体験や思考に根ざしていない主義や主張はたやすく形骸化しやすい。その結果、「どうせ、誰かがやってくれるだろう」とか、「議員や公務員に任せておけばいい」と、他者に甘え始める。

「面倒くさい」。それは、人間が持つ本性の一つであり、麻薬のようなものかもしれない。ストレスや煩雑さから我が身を守ってくれるものの、その一方で思考や行動も停止させる二面性を持っているような気がする。

(文責:鴇田 三芳)