野生動物にとって冬は生きるか死ぬかの厳しい季節である。第10話「土を喰う」でも触れたが、今年も畑に混ぜ込んだ糠をヒヨドリなどが土ごと食べて命をつないでいる。本来ヒヨドリは肉食なので、糠をおいしいとは感じていないのだろうが、生き抜くためには必死なのだろう。群れをなして、毎日畑に来ている。
皆生農園で働く者も似たりよったりである。割れたトマトや人参、害虫に喰われたキャベツや白菜、芽のでたジャガ芋、割れた人参、表面が腐りかけた玉ねぎ、極端に曲がった胡瓜なども、売れないからといって、むやみに捨てない。とにかく食べる。見かけは綺麗でも農薬まみれの野菜を食べるよりは、ましである。
ところで先週、里芋を植えた。一般的に、3月から4月末ころまでに小芋を植える。葉が大きくなると、その種芋の直上に親芋がまずできる。そして夏になると、その親芋の周囲に子芋が次々でき始める。さらに子芋が大きくなると、子芋の周囲にも芋ができる。孫芋だ。今では、食用として一般に流通するのは子芋と孫芋で、親芋は捨てられてしまう。里芋らしからぬ食感のためだが、実にもったいない話しである。生育条件が良ければ、ゆうに1キロを超え、子芋と孫芋を合わせたくらいの重さになる。昔は、加工業者が各農家をまわり、その親芋を買っていったという。農家にとってはもちろん、加工業者や消費者にとっても、親芋も役に立ったのである。
しかし、主食の米がだぶつき始めた頃から、採算上の理由からだろうか親芋は売れなくなり、畑に捨てられるようになった。世界のあちこちで飢餓に苦しんでいる人たちが9億人(国連機関のFAOが2012年に発表)ほどもいることを思えば、嘆かわしい現実である。
約1700万トン。この数字が何かおわかりになるだろうか。実は、年間に日本で捨てられている食料品の重量である(2010年、消費者庁による推計)。この中には、食べられる物が500~800万トンも含まれていると推計されている。ちなみに、日本の米の生産量は約850万トン(2012年、農林水産省の公表)だから、膨大な量の食料品を日本人は無駄にしている。先の里芋などのように農場の段階で捨てられる農産物や漁港などで捨てられる海産物からはじまり、加工する段階で捨てられる物、流通や小売りの段階で廃棄される物、そして、消費者の段階で捨てられる物、・・・・・・・・。いろいろな段階で、本当にたくさんの食料品が捨てられている。大多数の人々が、無自覚のまま、あるいは何らかの理由をつけて、食べられる物を気安く捨てている。「その行為の行き着く先は自分の命を捨てること」につながると私には思えてならない。
その一方で、とにかく1円でも安い食品を求めてスーパーのセールに行列する人々も少なからずいる。時間と労力をそこまで費やさなくても、食料廃棄を少し減らせば、結果的に食料費を抑えられるような気がするのだが・・・・・・・。
(文責:鴇田 三芳)