第243話 死の季節

百姓雑話

夏は恋の季節。今年もまた、お盆休みで海や山にたくさんの人たちが出かけ、新たに恋が芽生え、あるいは深まることでしょう。

半世紀近く前、「ピンキーとキラーズ」が歌う「恋の季節」が大ヒットしました。この季節を象徴するかのような歌でした。「忘れられないの あの人が好きよ 青いシャツ着てさ 海を見てたわ ・・・・・ 恋は 私の恋は 空を染めて 燃えたよ ・・・・・・恋の季節よ」というフレーズに夏の海辺での熱い恋を連想させます。薄着になった女の色香(いろか)に男は惹(ひか)かれてしまいます。

恋の季節に命を燃やしているのは人間だけではありません。昆虫や野辺の草ぐさも同じです。セミやコガネ虫、厄介なヨトウ虫やタバコ蛾など、多くの昆虫が恋に夢中になり、生命力あふれる草ぐさも盛んに種をつけています。

しかし、そんな恋の季節の直後には死が迫っています。自らの命を次代に捧げ、あっという間に命の火を燃やし尽くしてしまいます。夏はそんな季節でもあります。

今では人生80年の時代になり子育てが終わってから何十年も生きられますが、昔は人間も子孫を残して間もなく命を落としていきました。私の祖母はその典型のようでした。九人の子を産み、最後の子を産んで間もなく他界してしまいました。田舎では決して珍しいことではなかったようです。また、父は3人目の子を母に身ごもらせた直後、戦地で重傷を負ってしまいました。九死に一生を得て帰国したことで、仲間とともにサイパンで玉砕せずにすみました。

さらに昔にさかのぼれば、他の部族や集団の女を奪うために人はたびたび戦争をしてきました。まさに恋に命をかけたのです。もっとも、このような女狩りの背景には、小集団での近親婚を避ける目的もあったのでしょう。

ひるがえって現代では、恋愛に強い関心を持たず恋に命をかけることなど論外と言わんばかりの若者が一般化し、未婚者が増え続けています。その背景に経済的な理由がよく取りざたされますが、はたしてどうなのでしょうか。私には「人類の生命力が衰えたため」と思えて仕方がないのですが、・・・・・・・・。

立秋が過ぎ、あちこちに落ちているセミやコガネ虫の死骸を見ていたら、ふっとこんな想いが脳裏をかすめました。

(文責:鴇田  三芳)