第273話 二者択一の弊害

百姓雑話

年とともに、頭の回転が鈍くなり、新しいことをなかなか記憶できなくなってきた。これは仕方ないにしろ、記憶していたはずのことがなかなか思い出せないのは困ったものだ。「ほら、あれあれ」とか「えーと、何だっけ」などという間の抜けた言葉がつい口からこぼれてしまう。妻もまったく同じだ。

そこで、私のような横着者は、必要以上に物事を単純化させようとする。その行き着くところは、要するに「二者択一」。右か左か、白か黒か、得か損か、好きか嫌いか、善か悪か、などと無理やり型にはめ、萎縮しはじめた脳で何事も判断しようとする。これは、さらに困りものだ。

困るだけなら、まだいい。人生の岐路で重要な選択をすべき時に、寄りにもよって、そんな時に限って二者択一の判断を誤ってしまう。口に出しにくいものだが、誰にでも心当たりはあるだろう。

社会には、二者択一で人生を大きく左右されることがある。その一つが受験だ。たかだか1点差で合否が決まってしまう若者がたくさんいる。1点なんて、ほとんど誤差である。体調や運の影響を受ける範囲にある。一年でもっとも寒い時期にセンター試験があるが、体調を崩し実力を発揮できない人もたくさんいるだろう。地域によっては雪で交通機関が乱れ、ハラハラドキドキがストレスとなり、冷静さを失う若者も少なからずいるだろう。人生の大事な時に、まったく不公平ではないか。もっと暖かい時期にセンター試験をなぜしないのか、不思議でならない。

そもそも、受験は誰のためにあるのか。受験は、試験する側の都合が優先され、試験される肝心の受験生のことなど置き去りにしていないだろうか。学生は、教育関係者の飯のタネなのか。なぜ、お金を払う学生が教師を試験で選別できないのか。世の中は、買う側が買うものを自由に選べる。国鉄も電話も郵便も民営化され、今や電気さえもどこからでも買える。自由化されていない公共事業は上下水道と医療、そして教育くらいである。

〇か×か、右か左か、上か下か、得か損か、好きか嫌いか、善か悪か、・・・・・・。そんな二者択一的な思考や社会制度をとことん見直さなければならない時代に差しかかっているような気がしてならない。

今や片手で世界中の情報や知見をすばやく入手できる。いろいろな場面でロボットが人間よりも優れた結果を残す。そんな時代にあって、ほとんど記憶力だけで能力を測ることは、もはや時代遅れである。いずれ機械の奴隷になりかねない。

(文責:鴇田 三芳)