第274話 新たな選択肢

百姓雑話

私は、学校を卒業した後、5年ほどM電機という電子部品を製造する会社で働いた。入社後3か月の仮採用期間は、製造部門で製品の組み立てに従事した。ベルト・コンベアーに乗ってくる製品に自分の担当する部品を次々と組み込んでいく。1秒単位のスピードが要求される。一人がもたつくとその後の作業が止まるため、現場の責任者から叱咤激励された。一時も気を抜けない厳しい作業であった。その当時は、「設計部門に配属されるはずが、何でこんなことをさせられるのか」と不満が鬱積していた。

しかし、この製造部門での経験によって手先を鍛えられたことに、農業に就いてから、感謝するようになった。また、社会の現実の一端を知ることもできた。それは、「私たちが使うもろもろもの製品のほとんどは、1秒1分の時間管理のもとで、たくさんの人々が黙々と働いて生産されている」という現実である。

ところで、基本的に農民は職人である。職人の命は、多くの場合、手と目である。いくら知識があっても口が立っても、手先が器用でなければ、農業で生計は立たない。なぜなら農業は、薄利多売の典型で、たくさんのものを効率良く生産し販売しないと利益が出ないからである。

手先の不器用さを口や頭でカバーしようとしても、やはり最終的には、手先の器用さがものを言う。一部の職業を除けば、口先だけの人間は周囲の人々の信用を得がたい。農村社会では、それが顕著である。口先だけの人間はまったく信用されない。朝早くから黙々と働き、それなりの成果を上げて、やっと相手にされるようになる。

かと言って、新規就農者の場合、寡黙一徹でも困る場合がある。農民でない者が農業を始めようとすれば、当然のことながら、農地を入手しなければならない。どうにか入手可能な農地が見つかっても、最終的には農業委員会の書類審査と面接を受けなければならない。その際、「あの・・・・・・。えーとー、・・・・・・。」では話しにならない。考えていることを的確に話せなければ、それで結果はほぼ決まりである。

こんな現実が昔からずっと続いてきた。手先の器用さはもちろん、新規就農者は、口も頭もある程度働かせないと、なかなか喰っていけない。

しかし、一向に農民人口の減少に歯止めがかからないため、近年あらたな道も拓けてきた。厳しい農業の世界にも一筋の光明が差し始めてきたと言えるかもしれない。特別に器用でなくても、少しくらい口下手(くちべた)でも、健康で普通に作業をこなせ労働意欲さえあれば、農業に従事できる可能性が生まれてきたからだ。それは、大規模農園や植物工場で働くという選択である。個人営農や家族営農ではなく、一般の会社のように多種多様な才能を持つ他人が集まり集団で営農するというものである。

(文責:鴇田 三芳)