第295話 無辜(むこ)なる命

百姓雑話
これはテストえです

年間30種類以上の野菜を栽培し通年販売している関係で、多岐にわたる農作業が途切れることがない。この時期は、秋冬野菜を次々作付けるために、畑をトラクターで頻繁に耕す。その肝心のトラクター耕耘(こううん)が私は嫌いである。素人には楽な作業に見えるようだが、夏場は非常に辛い作業である。畑が乾燥していて土ぼこりがもうもうと舞い上がり、マスクをしていてもかなり吸い込んでしまう。くわえて、エンジンや排気ガスが放出する熱風は容赦なく体力を奪い取る。エアコンの効いた空間で働く人々にはとても耐えられるレベルではない。

トラクター作業は、肉体的に辛いだけでなく、沈鬱な気分にもさせる。耕していると、ハサミムシ、クモ、コウロギ、バッタをはじめ、名も知らぬたくさんの虫が命の危機を察知して必死に逃げ惑う。それはまさに、突然の火山の大規模噴火に逃げ惑う人間と同じ光景である。目に留まった大型昆虫はできるだけ殺さないようにするのだが、それらは微々たるもので、無数の無辜(むこ)なる命を奪っていく。

耕している時、農作物に被害をおよぼす害虫が土の中から出てくると、指でつぶして殺す。彼らとて、こちらの都合が折り合いにくいだけで、本質的には何の罪もない。

農業を長年続けてきて思うのは、「無数の命を犠牲にしてきて今がある自分は、いったい何者なのだろうか?」 「難民救援活動から農業に転身したのは本当に正しい判断だったのだろうか?」 「自分は地獄に落ちるのだろうか?」

今日13日は、旧盆の迎え盆にあたる。生まれ育った田舎では、この日の夕刻、提灯(ちょうちん)片手に墓地へ行き、先祖の霊を家に連れ帰った。幼いあの頃の慣習が今でも脳裏を離れない。

(文責:鴇田 三芳)