人はそれぞれ夢を描く。
その夢と呼ぶ心象は人類特有のものかも知れない。
夢は、はるか彼方を照らす闇夜の灯台のようなもので、いろいろな意味で人生を大きく左右する。
夢は、日々を生きる心の支えであり、苦境を乗り切る力にもなる。夢をすべて失い絶望した人は自ら未来を閉じてしまうこともある。
夢は人生を豊かにしてくれる。もちろん、夢だけでは喰っていけないが、夢のない日々は味気ない。
夢は苦悩のもとである。夢を実現しようとすると、いくつもの困難に直面する。その困難を前向きに受けとめ乗り越えられればいいが、往々にして苦悩の淵に足をとられ溺れてしまう。
夢は欲望と紙一重である。あるいは、表裏一体とも言える。夢が欲望に取り込まれ、野望と化して人類を地獄に何度となく投げ込んできた。半世紀ほど前からは、資本主義と自由主義の名のもとで経済活動がグローバル化し、夢が我欲の虜になってしまった。だから、余命わずかな老人さえもが怪しい投資話にのり何千万円ものお金をだまし取られる。
夢は魔力を秘めている。同じ夢が多くの人々の心に共有されると、まるでウィルスのように急速に自己増殖する。そして、いつの間にか人の心を破壊し、社会に蔓延し、人の良識と良心では制御できないほどの力を持ち始める。
老いとともに夢は、心が未来から過去へと移るにつれ、徐々に減っていく。夢の減少は老いを加速し、人を死の床に導く。たぶんそれが自然の成り行きなのだろう。
私も、いくつもの夢を胸に秘めつつ、妻や研修生などに助けてもらいながら、たくさんの厳しい状況を切り抜けてきた。たくさんの助力とはるか彼方の夢がなかったら、間違いなく挫折していただろう。
しかし近年は、体力の衰えが夢をひとつひとつ選別し、いくつかの夢が埋葬されてしまった。少し寂しい気もするが、日々を無事に生かされていることに感謝しつつ、現実を受け入れて生きるしかない。老いとはそういうものかもしれない。
(文責:鴇田 三芳)