第327話 自由化と規制と無関心の先に

百姓雑話

日本の農業の衰退が止まらない。年々、耕作放棄地が増えている。

その理由として、農家の高齢化と後継者不足がよく言われる。農林水産省のデータによれば、農民数が年々減りつづけ2017年は181万人となり、平均年齢は66歳をこえている。なかでも、農業を主たる収入源としている農民は150万人しかいない。皆生農園の周辺でも状況は同じで、ほとんどが60代以上。若い後継者がいる農家はまれである。お互いの状況が手に取るようにわかるので、後継者がいないことを表立って誰も嘆かない。口にしたところで、何の解決にもならないからである。

しかし本当に、高齢化と後継者不足が衰退の根本的な理由なのだろうか。長年の現場経験から私は、高齢化と後継者不足は、理由ではなく、衰退のプロセスでしかないと思っている。根本的な理由は、「農業はあまり儲からないこと」、「歴史的使命をすでに失った法的規制が今でも存在していること」、そして、「ほとんどの国民が農業に無関心であること」の三つであると私には思えてならない。

他産業と比べて、農業はあまりにも儲からない。家族で力を合わせて一年中頑張ったところで、ひとり頭200万円の所得があれば、上々である。その主因の一つは自由化だろう。日本では、米などの穀類や畜産物を除けば、野菜や果樹の流通と価格は市場原理に従い自由化されている。その自由化による販売競争が激しい。とりわけ生鮮野菜は、貯蔵による出荷調整がしにくいために、2割だぶついたくらいで半値以下に値崩れする。

くわえて、自由化されているとはいえ、実質的な価格決定権が販売業者側(スーパーや生協など)にあり、生産者側は値段をたたかれつづけてきた。天候などによる不作でもないかぎり、安値が当たり前になっている。

こんな構造的搾取があるかぎり、農業で喰っていくのは難しい。

二つ目の根本理由は、「農地法」という法的規制である。その最たるものが「農家資格」である。農家資格がないと表立って農業をいとなめず、行政機関は支援の手をさしのべてくれない。その農家資格を農家出身でない者がとるには高い障壁をいくつも越えなければならない。そのいっぽうで、農家の子どもは自動的に農家資格をえられる。医師にたとえるなら、医師を親に持たない人には難しい国家試験を課すが、医師の子どもには無試験で医師免許を与えるようなものである。

こんな規制のもとでは、意欲のある優秀な人材がろくに育つはずもない。

自由な新規参入を拒む産業はかならず衰退する。これは経済活動の鉄則で、農業分野も例外ではない。今後10年もたたないうちに、全国規模で現役世代の多くが離農するのは確実である。それまでに農地法を改正し、誰もが自由に農業参入できるようにしないと、日本の農業は再生しないだろう。

そして、三つ目が「農業に対する国民の無関心」。この問題は、きわめて根深い。「誰かがやってくれんじゃない」とか、「国産がだめなら、輸入すればいいじゃないか」などという無関心がすべての農業問題の根底にある。だから、不作で野菜が高騰すればニュースになるが、豊作で値崩れし農家がいくら困っても政府やマスコミは知らん顔である。

いずれにしても、時代を画するような大胆な変革をせずにこのまま放置すれば、取り返しのつかない食の危機が庶民に迫ってくると私には思えてならない。

しかしそれとも、IT革命とロボットが、生身の人間が解決できなかった難題を解決してくれるのだろうか。

(文責:鴇田 三芳)