コロナ禍というパンデミックによって、「エッセンシャル・ワーカー」という職業人の重要性が再認識され、感謝もされた。医療従事者とか、スーパーマーケット従業員とか、運輸関係者とか、生命維持に直結した仕事についている人たちである。その意味では、緊急性はないものの、農民もエッセンシャル・ワーカーになる。
にもかかわらず、である。
いにしえより農民はしいたげられ搾取されてきた。前話でも書いたが、農家はろくにもうからない。ノンフィクション作家の奥野修二氏が週刊新潮8月8日号(「野菜一つ100円では飯は食えんです」で検索可能)に深刻すぎる農家の実情レポートを書いていた。どいなかの専業農家に生まれ育ち脱サラ農民となった私はそれを痛いほど体験してきた。
世間の給与所得者(昔風にいえば「サラリーマン」)は、職種に関係なく、労災・雇用保険や厚生年金などに自動的に加入でき、簡単に解雇されないように法律で保護もされている。もちろんのこと、最低賃金も保証されている。
しかし農民は、そのような社会制度からも除外され、最低賃金の範疇にもはっていない。きわめて自己責任の労働環境におかれている。これで、「エッセンシャル・ワーカー」といえるのか。このところの米不足に関する消費者や知識人の意見を聞いていても、農民を「エッセンシャル・ワーカー」と認識しているようにはとても思えない。まさに「のどもと過ぎれば、熱さを忘れる」である。
近年は、「フリーランス」とか「一人親方」などと呼ばれている労働者も農民とにたりよったりの労働環境で働いている。(「働かされている」のほうが正確だろう)彼らも、自己責任という鎖につながれた合法的奴隷のようだ。
上述の医療従事者やスーパーマーケット従業員なども「エッセンシャル・ワーカー」といえるほどの待遇をうけていない。だから、ドライバー不足は一向に解消されない。
「医者は高給とりじゃないか」という人もおられるかもしれないが、はたしてそうだろうか。過酷な受験勉強に耐え、医師資格をとるには難しい国家試験もパスしなければならない。私立大学なら3000万円以上の費用を用意しなければ、医師になれない。このようにしてやっと医師になっても、それなりの待遇をうけているとはとても思えない。とくに研修医は、研修という名目でただ働きさせられ、奴隷のように酷使される。一定以上の経験をつんでも、勤務医は無制限の残業時間をしいられることが普通であった。それがために、医師をやめることも珍しくない。思いつめ心を病んで自殺することも。
このような実情が社会問題化し、2019年4月に医師の働き方改革に関する法律が施行されたが、それでも残業時間の上限は年間960時間である。地域医療に従事する医師は年間1,860時間までの残業が許容されている。かりに週5日勤務として計算すると、一日あたり7時間もの残業になる。
「エッセンシャル・ワーカー」といわれながらも、社会の下層で働く人々に日の目があたるのはいつになるのだろうか。
(文責:鴇田 三芳)