第354話 人類の悲劇の原因は何か

百姓雑話

ベトナム戦争からカンボジア内戦、そして大量のカンボジア難民の流出とつづく歴史を描いた「The Killing Fields」。1984年の映画です。この映画には、いろいろな教訓と人間の本質が描かれていると思いますが、ここで述べようとしている観点から、そのワンシーンを取り上げます。それは、逃避行の途中で、主人公の助手があまりの空腹のために牛の首に傷をつけ血を飲むシーンです。人間の生存欲の奥深さを如実に示しています。

1972年10月にはこんな事件も起きました。45名を乗せた旅客機がアンデス山脈の高地に墜落し、絶望と飢餓にさいなまれた生存者は亡くなった人たちを食べたと、救出後に生存者が明かしました。

15世紀半ばから大航海時代が始まりました。ヨーロッパの国々は、農産物(茶、胡椒、綿花、香料、アヘンなど)や安い労働力、鉱物資源などを求めてアフリカやアジアを植民地化しました。その悲劇の後遺症は今でも世界各地で残っています。

スペイン帝国は、おもに中南米を侵略し、金銀の強奪だけでなく、ジャガ芋、トウモロコシ、トマト、タバコなどの農産物もヨーロッパにもたらしました。このとき強奪した金銀よりも、農産物のほうが歴史に大きな影響を及ぼしたと私は考えています。とくにジャガ芋は、麦が栽培しにくいヨーロッパ高緯度地方でも生産でき、北部ヨーロッパの庶民の主食となりました。これが、ヨーロッパ諸国が世界を席巻する原動力の一つになったと思われます。

そのジャガ芋はいくつかの悲しい歴史も刻んでいます。当時のジャガ芋は病気に弱かったため、何度も凶作に見舞われました。1840年代にはきわめて深刻な凶作で大規模な飢餓がヨーロッパを襲いました。とくに悲劇的だったのはアイルランドで、100万人ほどが餓死と言われています。この飢餓により、大量の難民がヨーロッパから新天地・アメリカに移住していきました。アイルランド難民の中にはアメリカ大統領・J.F.ケネディの先祖もいました。

初期のアメリカは、綿花などの農産物を生産し、国力を蓄えました。現在でもアメリカは世界一の穀物輸出国ですが、その歴史をたどれば、先住民であったインディアンとアフリカからの黒人奴隷の悲劇があるのです。

日本にも食にまつわる悲しい歴史がいくつもあります。芥川龍之介の「羅生門」に描かれたような飢餓の惨状を何度も繰り返し、領地をめぐる血みどろの争いが続いてきました。領土争奪とは、つまり食の奪い合いなのです。戦いの時代が収まった江戸時代でも、深刻な飢饉が何度も襲い、喰うに困った農民や町民はたびたび一揆や反乱に走りました。そのため明治以降、政府は飢饉による政情不安を恐れ、おもに農民を国策としてハワイ、アメリカ、中南米へ大量の移民を送り出しました。それが飽和状態になり、次は満州へ。その結果は広島と長崎への原爆投下という悲劇でした。

食料は生存にとって非常に重要な物です。それがゆえに、人類の発展を支える一方で、何度も何度も悲劇の歴史を刻んできたと私は考えています。その歴史を熟知していたキッシンジャー氏(元アメリカ国務長官)は、「食をコントロールする者が人民を支配する」と言ったそうです。この名言の正当性は日本を見れば歴然とします。

 

(文責:鴇田 三芳)