我が家には3歳になったばかりの雌猫がいます。病気で衰弱しピクとも動けず道端に捨てられていた子猫を拾ってきました。2回の大手術に耐え、今では普通に暮らしています。「九死に一生を得て救われた猫」ということで、名前は救(きゅう)とつけました。今では家族を癒し救ってくれています。
その救は、重病続きであったために完全な家猫で、人とじゃれ合うのが大好きです。とりわけ私とはよく遊びます。じゃれ合っているうちに、野生が目覚めるのか、みるみる戦いモードに変わっていきます。
猫に限らず、哺乳動物の子どもたちは全身を使ってじゃれ合います。人が見ればお遊び程度に見えても、実は真剣にじゃれ合っているようです。特に肉食系の動物のそれは、時に遊びの領域を超えているようにも見えます。多分、自己の生存はもちろん、その種を維持する上でも不可欠な戦いの訓練なのでしょう。
話は変わって、人間の遊び。私が子どもの頃は、ど田舎の農村地帯ということもあり、村内の男子が集まり、日が暮れるまで外で遊んでいました。野球に相撲、缶蹴りに鬼ごっこ、そして騎馬戦とチャンバラ。夏は決まって肝試しが加わりました。年に一度くらいは他村の子どもたちと喧嘩もしました。今から思えば、肉食動物の子どもたちと大差ない遊びばかりでした。
時は流れて時代は移り、外遊びからオモチャに、オモチャからゲームにと遊びの内容が変わるにつれ、子どもたちの行動パターンが大きく変化してきたように思えます。例えば、ちょっとしたことでプッツンしたり、遊びと戦いの境が曖昧になり簡単に遊びから戦いに急変したり、いじめから自殺に追い込んだり、他人を殺傷することも珍しくなりました。
皆生農園の農場はとても田舎にありますが、近くの広い隔離地から威勢のいい、しかし丁寧な大声が聞こえてきます。近くで20から40代くらいの大人が戦争ごっこに興じ、それを仕切る男の人の声が拡声器で四方八方にばらまかれるからです。以前は週末に限られていましたが、最近は週日でも聞かれ、参加者の大きな歓声の中に女性や子どもたちの声も混じるようになりました。
その騒音を聞くたびに、「あの延長線上にISIL(イスラム国)の若者たちがいるのかなー」と私は思えてなりません。
そのような人間の喧騒とは別に、中秋の静かな原野にモズとヒヨドリの鋭い鳴き声が響くようになりました。「チッ、チッ、チッ、・・・・・・・」と縄張り争いをくりひろげているモズの声。「ピー、ピー、ピー、・・・・・・・」と餌を独占しようとするヒヨドリの声。モズもヒヨドリも、遊びではなく、来春にかけて命をかけた戦いに明け暮れます。
その一方でカラスは、群れを作り、よく鳴き積極的にコミュニケーションをとるようになります。これから餌が減っていくため、群れで移動しながら餌を探します。どうも助け合いながら厳しい冬を乗り越えるようです。
そんな彼らを見ていると、「いったい自分はどっちの生き方をしているのだろうか。モズやヒヨドリか、それともカラスなのか」と自問することがあります。
(文責:鴇田 三芳)