第288話 長生きは良いことなのか

百姓雑話

今から3年前、農場の一角に子猫が5匹いた。公道をはさんだ反対側の民家から母猫が運んできようだ。写真のように、とても可愛い。生き物好きの私は大いに慰められた。

ところが突然、母猫が授乳に来なくなり、子猫たちはほどなく死んでしまった。第115話「自由と代償」で触れたように、この公道を猫が横断するのは非常に危険なので、車に引かれてしまったのかもしれない。子猫たちは、飢えと渇きにあえぎながら、天に召されたのだろうか。

今年になってから私は、体調のすぐれない時が何度かあり、病院通いを何度もした。1月には心臓が痛くて何度か通院し、3月には小指の先端を切って救急車で運ばれ、今月上旬には帯状疱疹で大学病院に駆け込んだ。今でも痛みが引けず、鎮痛剤のロキソニンを飲んでいる。病院と薬の嫌いな私でも、それらに助けを請うてしまった。3度も立て続けに通院したため、初めて余命を予感した。そろそろ、終活を始める歳なのだろうか。何とも寂しいが、仕方ないことである

。義母が昨秋から我が家の近くの老人ホームに越してきた。92歳である。足腰が弱って歩くのに少し不自由はあるものの、他に悪いところはない。まだまだ生きられそうである。義母は、酒類やたばこ、雑貨などの商いで3人の子どもを育て上げた。忙しさのあまり、何の趣味もなく老いた、典型的な「焼け跡」世代である。

老人ホームでの生活は、起きて食べて排泄して、少し運動して日が暮れる。打ち込める趣味でもない限り、退屈きわまりない。そんな日々に疲れるのか、ときどき義母は、「もう生きていても仕方がないなー」と呟き、肩を落とすことがある。

その義母を見ていると、「長生きは良いことなのか」と思ってしまう。

(文責:鴇田 三芳)