先週、部分的に大根と人参を間引いた。部分的とはいえ、間引き作業は疲れる。地面に長時間しゃがみ込む姿勢のために、体にこたえる。農民が腰や膝を痛める原因にもなっている。農作業も昔と違って今は機械化が進んでいるが、間引き作業のできる機械を見たことがない。
また私は、間引きしていると、悲しくなることもある。自分で蒔いたものを小さいうちに自分で抜き取ってしまうからだ。たとえが適切ではないかもしれないが、わが子を堕胎するようなものだ。
そんな感情もあって、私は間引き作業をできるだけやらない。種を少なめに蒔き、収穫するまで放っておく。当然、形の悪いものもできる。大きさも様々。収穫と荷造り作業が手間どり、生産性が落ちる。
しかし、それでもいい。普通は抜き去るものでも、いずれは食べられるのだから。
私どもは、直売がおもな販売方法なので、形が良くないもの、小さいものでも、それなりに買っていただける。中身が違うわけではない。お客さまによっては、大きい大根は食べきらないので、割高であっても、あえて小さいものを選んで買われる方もおられる。本当にありがたいことだ。
何も語り合えず、心を交わすことが難しい野菜だが、私たちと同じ命である。できるだけ長く生かしてやりたい。その命を無駄にしたくない。形や大きさにこだわらず、命をつなげるために、食べられるものは食べよう。
(文責:鴇田 三芳)