第18話 育児

百姓雑話

やっと春めき、ヒバリがさえずり始めた。スペインのカタルーニャ地方では「ピース、ピース」と鳴くという。

去年、ヒバリが私の畑に産卵したが、結局1羽も巣立てなかった。2個は何かに食べられてしまい、最後に残った1個も、多分、親鳥が育児放棄したようだ。そこはトマト畑で、私たちが毎日その巣の近くを通っていたからだろう。

そしてまた今年も、写真のように、同じ私の畑に3個の卵を産んでいた。それも去年の場所から10mほどしか離れていない場所である。ネギの土あげをしている時に気づき、巣の中に飛びこんだ土を除こうとして、1個を割ってしまった。心が痛む。ヒバリはどうして畑で子育てするのだろうか。ツバメのように人の気配が卵を外敵から守ってくれると思っているのだろうか。

ところで、皆生農園では肥料として米糠を大量に使っているのだが、その糠の中でネズミがよく営巣する。労せずして糠という餌にありつけ、その中は暖かく外敵も侵入できないためだろう。つい先日も、積んでおいた糠を使い始めたら、案の定ネズミが糠を喰い荒し、糠袋の中に暖かそうな巣があった。しかし、ネズミの赤子は寄り添うように死んでいた。人の気配を感じて、やはり育児放棄したのかもしれない。

そして昨日、レタスの収穫中にクモと遭遇した。私に驚いたのか、後ろ足で抱えていた卵の塊を落としてしまった。クモがどうするのか至近距離でじっと見ていたが、卵から数センチ離れたところで動こうとしない。私の気配を感じているのかと思い、その場を離れカメラを持って戻ると、クモは口に卵の塊をくわえていた。育児放棄しなかった。そして、カメラの音に危険を感じ、レタスの陰に逃げて行った。 

ネズミやヒバリに比べれば、クモは下等動物と人は言う。しかし本当は、どちらが下等なのだろうか。

現代の人間は果たして人間らしい子育てをしているのだろうか。私自身の子育ては親としての責任を全うできたのだろうか。そんなことを考えさせられる刹那だった。

 

(文責:鴇田  三芳)