第30話 風に吹かれて

百姓雑話

梅雨が明けた。私の好きな季節がやっと来た。

しかし、この季節を忌み嫌っている人のほうが多いだろう。節電のためにエアコンやクーラーの使用を控えている人たちも、いざ熱帯夜で眠れないと、理性が苦痛に変わるかもしれない。こんな季節でも、夕立の後に涼しい夜風が吹いたりすると、身も心もほっとする。

ところで1960年代のはじめ、この歌が日本でもヒットした。”How many roads must a man walk down before you call him a man?” ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」の冒頭である。私は2ヶ月後に還暦を迎えるが、同世代かその上の人で洋楽を聴いたことのある方なら、大方は知っている歌である。

大学に入った後、私はこの歌を聴いて人の愚かさを気づかされた。年を重ねれば重ねるほど、わが身も含めてだが、「人間は愚かである」と痛感させられる。いつまでたっても歴史の教訓を学ばない。学ばないから、福島原発事故の直後、「想定外」などと発言する。およそ一流の専門家とは思えない発言である。そして、国民の半数近くが原発なしでも節電して夏を乗り切る覚悟を決めても、なぜか大飯原発が再稼働された。またしても、つい1年ほど前に起きたばかりの歴史の教訓を闇の彼方へ葬ろうとしている。

人類は、創造力に恵まれたためか、世界各地で高度な文明を築き上げてきた。特に産業革命以降は、人間が作り出した機械やシステムが、複雑に、パワフルに、休む間もなく働き、私たちの生活を快適に便利にしてくれた。

しかし、その精神はなかなか豊かにならない。想像力が創造力に追い付かない。そのギャップは広がる一方である。いつの日か、人類は自らが作りだしたものをコントロールできなくなるかもしれない。いや、もうなってしまったのかもしれない。例えば、世界中にある核兵器と原発を具体的にどうすればいいのか、想像がつかない。この先、人類はどうなっていくのだろうか。宮崎駿監督が描いた「風の谷のナウシカ」のような世界になるのだろうか。

ボブ・ディランは、「友よ、その答えは風の中に吹いている」と結んでいる。私も、じっとり汗をかいた体を一時休め、真夏の熱風に吹かれながら、想いをめぐらしてみた。「確かに自然の風の中にも答えがありそうだ」、そんな気がした。

気を取り直し、「暑さも自然の恵み。エネルギー溢れる季節が、やっと俺の季節が来た」と猛暑に感謝し、さあ、頑張ろう。

(文責:鴇田  三芳)