水は、実に不思議な物質である。酸素(O)の両脇に水素(H)が1個ずつ結合しているが、への字のように曲がってついている。きわめて特異的な結合のため、分子の周囲が電気をおびる。これが、水の不思議の原因であり、命の源となった理由と思われる。
ところで、生命の維持にもっとも緊急性が高いものは何かと問われれば、人間にとっては酸素だが、その次が水。肉体労働者なら、理屈抜きでそれを実感しているはずだ。そして、3番目が食料。とりもなおさず、この順は摂取の容易さでもある。ところが、今や空気さえも買う時代になってしまった。水にいたっては膨大な量を買っている。買わないと、1億人を超える私たち日本人の相当数が餓死する。
かつて、アメリカの捕鯨船は腐りにくい日本の水が欲しくて寄港したと本で読んだことがあるが、それくらい日本の水は質的に優れ、量的にも豊かであったため、アメリカが買っていたのだろう。
ところが、今や日本は「仮想水」という形態できわめて大量の水をアメリカから買っている。この仮想水とは食料を作るのに必要な水のことだ。例えば、トウモロコシ。2008年には1600万トンを日本は輸入した。ほとんどがアメリカから。もちろん、世界一の輸入量だ。お米の国内生産量が約800万トンだから、その2倍近くのトウモロコシを輸入していることになる。独立行政法人・国際協力機構によると、日本が輸入しているトウモロコシを育てるため約300億トンの水が必要という。また、独立行政法人・水資源機構によると、すべての輸入食料を育てるために必要な水の量は640億トンと見積もられている。日本で生活用、工業用、農業用などとして使用されている水が約1000憶トンなので、膨大な量の仮想水を輸入していることがわかる。
発展という名のもとで世界的な規模で今後、温暖化、森林面積の減少、人口増加、肉食化、飽くなき便利さの追求などが進む可能性が高い。必然的に水の使用量が増えると予想されるが、水の大部分は私たちが利用しにくい海水だ。海水の大規模な淡水化が実現しない限り、需要に供給量が追い付かず、水の奪い合いが激化することが懸念される。20世紀は石油を奪い合う世紀だったが、今世紀は水の争奪の世紀となるかもしれない。
よほどの空梅雨でもないかぎり、日本では水に不自由しないが、それは先人たちの長い苦役の結果だ。一人当たりの降水量は何と世界で17番目。世界平均の3割強しかない。一人ひとりがこの現実を心に刻み、一滴の水も無駄にしないような暮らし方、産業の在り方をさらに追及する必要があろう。
水は命の源だ。生命維持に直結している。その本質的な重要さは石油以上だ。
(文責:鴇田 三芳)