第321話 搾取からの解放

百姓雑話

先日、NHKテレビを見ていたら、「人類は他者に物を与えることに喜びを感じる本能を持った生物である」と解説していた。か弱い人類が生存競争を生き抜いてこられた知恵なのだろう。まさに「情けは人のためならず」である。

しかし、現実はどうだろうか。世界的に年々、貧富の格差が広がる一方である。他者に物を与えるどころか、いかにして他者から富を奪おうか、搾取しようかと虎視眈々と狙っている人間があまりにも多い。

ところで、安倍政権は「働き方改革」を是が非でも成し遂げようとしている。この政策を支える考え方の一つは成果主義である。その議論を聞くと、私は何とも言いがたい空しさに襲われる。「いったい誰のための改革なのか」と。農魚民をはじめ自営業者やプロ・スポーツ選手などはまったく議論の対象者になっていない。

そもそも、このような職種の労働者は昔から成果主義という土俵の上で格闘してきた。だから、働き方改革の議論を聞いても、「成果主義だって? 何を今さら・・・・・・」と思っている農魚民や自営業者、プロ・スポーツ選手は少なからずいるだろう。正直、私もその一人である。

もっと言えば、農民や漁民は、成果主義どころか、成果が上がり過ぎると大損することもある。いわゆる「豊作貧乏」、「豊漁貧乏」である。

そんな農民や漁民の苦労をよそに、法律や労働組合に守られている給与所得者の大多数は「野菜が安くなって良かったわねー」と喜ぶ。その言葉には、手にした安い野菜の先にある農民の状況への想像力など感じ取れない。

他者への配慮や想像を怠り「自分さえ良ければ」という倫理観が、結局は、構造的な搾取を生む。ひとたび生まれた搾取は容易に除去できない。アメリカ合衆国の歴史を見れば、それは歴然としている。そして日本でも、経済力が頭打ちになったためか、この搾取構造がじわじわと蔓延し、成果主義にもとづく働き方改革が議論され始めたのである。

このまま放置すれば、法律や組合などに守られてきた給与所得者もいずれ成果主義に締め上げられ苛烈な搾取を被る日が来るであろう。

人類は、他者に物を与えることに喜びを感じる本能を持った生物であるなら、今こそ搾取の習性から自らを解放し共存を取り戻さなければ、明るい未来を描けないような気がしてならない。

(文責:鴇田 三芳)