人生は旅である。人の一生は、長い人類の旅の短い途上である。
皆生農園は、成田と羽田を離陸したジェット機がちょうどクロスする真下にある。多い時間帯では、1分に1機ほどの割合で飛び交う。私は、仕事の手を休め、ときどき見上げては、また一人旅に出たいと思ってしまう。安心して農園を任せられる者がいれば、1週間でもいいから、パスポートと往復ティケットとお金を内ポケットに入れ、少しの衣類を鞄に詰め、予定のない旅に出たい。
さて、アブラ虫と人類の共通点を探ってみよう。
農業を始めた頃、アブラ虫にほとほと悩まされたため、本でその生態を調べた。読んだ本には判を押したように、「春と秋に羽が生え雌雄が交尾し、産卵する」と書いてあった。しかし、長年アブラ虫を観察してくると、どうも本の記述はアブラ虫の生態に秘められた命の本質を語っていないような気がしてならない。確かに傾向として春と秋に羽が生えやすいが、ある状況になると冬以外なら、いつでも立派な羽が生え空を舞う。ハウスの中では、真冬でも生える。そして、環境が良ければ、急速に増殖し個体密度が高くなる。つまり、ある状況とは、作物が養える以上に個体数が増え、餌が不足し始める状況である。
それはまさに、人類がアフリカのサバンナ地帯で生まれ、世界各地に広がっていった旅、グレート・ジャーニーの理由と同じであると私は推察している。ある土地に定住した一団が子孫を増やし、その地では全ての民を養いきれなくなった時点で、その一部が食料を求めて新たな旅に出た。旅の途上で争いごとも飢え死にしたこともあったろう。運よく先住民族と同化したこともあったろう。そうして人類は地球の隅々まで進出したのであろう。つまり人間もアブラ虫も、個体数が過剰になると、群れの一部が新天地を求めて旅に出る。
人類のグレート・ジャーニーはすでに中世で終りを迎えていた。にもかかわらず、航海術を手にしたヨーロッパ人が世界各地に進出し、今でもくすぶっている紛争の火種をまいた。その後も産業革命によって増え続ける人口をどうにかするため、アブラ虫が羽を生やしたように飛行機を発明し、新天地を求めて2度の世界大戦を犯した。そして日本人も、大きな時代の流れを認識しないまま、ヨーロッパ人の所業を模倣し満州に進出した。「人類のグレート・ジャーニーはすでに終わった」という歴史認識の欠如がもたらした悲劇であった。愚行であった。
そして今や人類は、ロケットで月や他の惑星に移住しようとしている。現代は人類にとっての新たな旅、スペース・ジャーニーの始まりの時かもしれない。その旅がグレートとなるかどうか、それがわかる時まで私は生きていないだろう。だが、とても気になる。
(文責:鴇田 三芳)