第22話 甘い誘惑(1)

百姓雑話

人は甘い誘惑に弱い。とっても弱い。悲しいくらい弱い。この世は、甘い誘惑に満ち満ちている。異性の誘惑、お金の誘惑、地位や名誉の誘惑、そして食べ物の誘惑。

私も甘い誘惑に弱い。特に甘いお菓子には目がない。満腹になっても、夕食後の甘いものは別腹に入る。肉体労働している関係でお腹がすき、去年までは午前と午後に甘いお菓子を食べ、これまた甘い紅茶をたっぷり飲んでいた。朝6時から夜9時頃まで働く夏場は、これらが活力のもとになると思って、積極的に飲食していた。

かつて働いていたアフリカのソマリアでも、イギリスの影響か、現地の人々は甘い紅茶をよく飲んでいた。紅茶を飲むというよりも、ミルクをたっぷり入れた砂糖湯を飲んでいるようであった。ソマリアは最貧国と言われているが、茶葉も砂糖も輸入である。少ない現金収入で甘い紅茶を頻繁に飲むからには、とても好きなのであろう。そのソマリアでは、甘いという味覚を「マーアン」と表現し、「おいしい」という意味でも使う。つまり、「甘い」ことは「おいしい」ことなのである。

ところで、私は野菜を直売しているが、ほとんどの消費者が甘いトマトを欲しがる。甘くなければトマトではないような言い方をする人もいる。百貨店などでは糖度を上げた小さいトマトが驚くような高値で売られているが、これこそ甘さ求めた極みである。

しかし私どもの場合、露地栽培という自然に近い環境で栽培しているので、トマトが甘酸っぱくなる。ハウスで育てられた甘いだけのトマトとは明らかに違う。健康的には酸味のあるトマトの方が良いように思うが、生まれた時から甘い食べ物に慣らされてきた世代には「おいしい」と素直に感じられない傾向がある。

今から20年ほど前、就農して間もない頃、私が所属していた出荷組合の職員7名にトマトの食味試験をお願いしたことがある。真っ赤に完熟した露地トマトと、未熟のまま収穫し4、5日放置して赤くした露地トマトを、その素性を明かさず、試食してもらった。見た目には違いがない。結果は見事であった。農家出身の青年2名は完熟トマトを、非農家出身の中年女性5名は全員が未熟トマトをおいしいと答えた。露地トマトでも完熟前に収穫すると酸味がのらず、その分甘みが引き立つからである。多分、農家出身の青年は甘酸っぱいトマトに慣れ親しんできたが、非農家出身の彼女らは幼い頃からハウスで栽培されたトマトか未熟の露地トマトしか食べてこなかったのであろう。

トマトなどの野菜に限らず、くだもの、お菓子やケーキ、飲み物、魚や牛肉、お米など、甘さを要求される食べ物を上げたらきりがない。人は生理的に、あるいは遺伝的に「甘い」ものを「おいしく」感じ、甘いものを特に欲しがるのではないだろうか。

しかし、それで良いのだろうか。

(文責:鴇田  三芳)