今は良いと思われることでも、将来は悪い結果を招いてしまうことがたくさんあります。日本の農業も、その歩んできた歴史を冷めた目で見返すと、そのような事例がいくつも繰り返されてきました。
敗戦直後、GHQの指示により農地解放が強行されました。自らは耕作しないで小作人に耕作させていた大地主の農地がただ同然で小作人に払い下げられた政策です。それによって、小規模の自作農民が一気に増えました。農地を奪われた大地主の抵抗はあったものの、権力と多勢に押し切られざるを得ませんでした。
この政策は、農産物、とりわけ米の増産を目指すものでしたが、裏の目的があっただろうと推察されます。それは、昔から為政者を脅かしてきた農民一揆を撲滅するため、そして農民が共産化するのを阻止するため、というものです。その当時アメリカは、農民だけでなく、日本全体が共産化してしまうのではなかと心底恐れていたようです。
結局、農産物の増産、農民一揆の撲滅、共産化の阻止は、その目論見どおり、農地解放によって実現しました。
しかし、四半世紀もたたないうちに、農地解放が裏目になり始めてしまいました。農地解放によって農地が細分化され、一農家あたりの農地が狭くなったことで農家の収入が伸びませんでした。戦後の経済復興によって第二次産業や第三次産業に従事する労働者の収入が毎年伸びていくなかで、農民の収入は伸び悩み、農民は次々に離農してしまい、食料自給率は減り続けてきました。
「あの時もし農地解放などしないでおけば、経済原理に基づいて簡単に大規模営農が実現できたのに・・・・・・・」と政府が結果的な失政を口にすることができず、水田の生産効率を上げるという名目で水田の改良、いわゆる「基盤整備」に膨大な税金を長年投入してきました。それらの広大な水田も、いたるところで今や耕作放棄地と化しています。
この基盤整備の典型的な失敗は、九州の諫早湾の干拓事業です。その問題の詳細を今さら私が述べるまでもない状況です。秋田の八郎潟の干拓も、政策的には「今は善、将来は悪」と言える事業であったように私は感じています。
今の善が将来も善であるかどうか、将来を見通すことは非常に難しいことです。しかしだからといって、「今の善は将来も善である」という根拠の乏しい期待や「善は不変である」などという独善は、人を不幸に陥れることはあっても、個人も社会も決して豊かにすることはないと私は思っています。
(文責:鴇田 三芳)