第23話 ジャガ芋あれこれ

百姓雑話

ジャガイモの花先月下旬、ジャガ芋に花が咲いた。白い花、紫の花、いずれも美しい。南米アンデス地方からヨーロッパにもたらされた後、広く観賞用として栽培されていたらしい。

今週から収穫である。関東以南のジャガ芋の産地では、春から初夏にかけて出荷する。しかし、本来ジャガ芋は、冷涼で乾燥した気候を好むため、関東以南では秋に栽培した方がおいしい。にもかかわらず、ほとんど販売用には栽培しない。秋以降は北海道産の安価なジャガ芋が出回るために儲からないからだ。また、秋の長雨で病気が発生しやすく、収量も少ないという3重苦。これでは販売用に作らない。

ところでジャガ芋は、穀類ではないが、国や地域によっては主食であり、とうもろこし、麦、米についで、4番目に多く食べられている。穀類にはない優れた特徴があるからだ。一つ目は、寒過ぎて麦さえも栽培できない所でも栽培できる。二つ目は、痩せ地でも構わない。三つ目は、栽培期間が短い。関東地方では3カ月もあれば十分である。四つ目は、穀類に比べビタミンCが豊富に含まれており、それも熱によって分解しにくいという優れものなのだ。

産業革命以降、イギリスやドイツなどの北部ヨーロッパが爆発的に国力を強めた背景に、ジャガ芋の普及があったのは間違いない。また、ロシアの市民は「ダーチャ」という家付きの広い家庭菜園を持ち、ジャガ芋などの食料を自給しているという。ソ連崩壊後、わずかな食料を求め来る日も来る日も庶民の行列が続いたが、エリツィン体制は崩れず、暴動の様子も伝えられなかった。それは、ダーチャでの自給が背景にあったという。まさにジャガ芋は近世以降の救世主と言えなくもない。日本でも、江戸時代から飢饉の時に、さつま芋とともに庶民の命をつないだ歴史がある。

しかしその一方で、穀類に劣る点もある。まず、重量あたりのカロリーが低い。次に、同じ畑で毎年作ることが難しい。いわゆる連作障害が起きやすいからだ。そして、病気に弱い。そのため、悲劇も起きた。19世紀中ごろ、ヨーロッパでジャガ芋の病気が蔓延し、多数の餓死者を出した。特にジャガ芋を主食としていたアイルランドでは100万人以上が餓死したと伝えられている。そして、アイルランドだけでも200万人以上がアメリカなどに移住した。その中に、J.F.ケネディーの先祖もいたという。

(文責:鴇田 三芳)