第67話 分散と集中

百姓雑話

皆生農園では、通年で直売しているため、年間50種類ほどの野菜を作る。春は、葉菜のレタス、キャベツ、ほうれん草、小松菜、ルッコラ、ねぎ、ブロッコリーなどから始まり、根菜のジャガ芋、果菜のトマト、茄子、枝豆、きゅうり、いんげん、オクラ、さつま芋の定植でほっと一息つく。

何も農業に限ったことではないが、種類が多くなればなるほど、作業が煩雑になる。くわえて、作物の隅々まで目が行き届きにくく、病気や害虫の発見が遅れ、対策が後手に回ることもある。資材や農機具の種類も多くなり、利用効率が落ちる。広い作業場や倉庫も必要になる。このように、多種類の野菜を栽培する分散型農業では出費と苦労が増える。

また私どもでは、農地がすべて借地で6か所に分散しているため、頻繁に車で移動しなければならず、時間とコストの無駄が多い。広い農地1か所で営農している農家を羨ましく思うこともあるが、とりあえずは非農家出身者の宿命と受け入れるしかない。

このように、分散型農業は、効率が落ちコストと無駄が多くなる宿命を抱えている。

かと言って、集中型農業の方が良いかと言えば、必ずしもそうではない。限られた作物に特化していると、何か急激な変化や甚大な自然災害が起きた時、悪影響を受けやすくなる。例えば、かつてアメリカ産オレンジの輸入が緩和された後、ミカン農家は大打撃を受けてしまった。もし今後TPPに日本も参加すれば、米農家の多くはさらに苦しい状況になるだろう。また、皆生農園のある地域は梨の大産地であるが、収穫が間近に迫った、ある夏の日、ゴルフ・ボール大の雹が積もるほど降り、梨が全滅してしまった。実だけではなく、その木も傷ついたために、その後何年も収穫量が減ったという。

さらに、農地が1か所に集中していると、分散している場合とは異なるリスクがある。特に借地農業の場合はそのリスクが非常に大きい。かつて私のところで研修した青年が、独立して1か所の広い農地で立派に営農してきた。ほとんど休まず、強い意志をもって精一杯働いてきた。しかし昨年、何の補償もないまま、地主から突然立ち退きを言い渡された。彼の実績をよく知る市役所の協力が得られ、幸い新しい農地に移転できたが、ほとんど一からの出直しである。元のような収益が上がるまで最低でも1年はかかるだろう。その一方で、立ち退きを言い渡した地主は、農地を宅地に転用し、労せずして何十億円もの巨額の不労所得を手にするであろう。何と理不尽な世の中だろうか。思い起こせば私も、同じ憂き目にあっているので、彼の気持ちと苦労は痛いほどわかる。

集中型農業の危険性も知ったうえで、分散型農業を見つめ直せば、いくつかの利点も見えてくる。例えば、何人かの地主から借地していれば、上で述べたような地主からの立ち退きリスクが減る。また、農地にはそれぞれに個性があるので、何か所かの農地があれば、作物によって使い分けたり、台風シーズンには影響を受けにくい農地に作付けできる。

人類の歩んできた道を振り返れば、都市集中型の社会、工場集中型の生産システムを営々と築いてきた。しかし現代では、情報ネットワークと移動・物流システムが世界の隅々まで行き届き、分散型の社会を容易に構築できようになった。今こそ集中型社会の問題点やしわ寄せを減らせるチャンスでもある。このチャンスを逃すと、「あの時代に舵を切っていれば、こんな時代にならなかったのに」と、百年先の人々に恨まれるような気がしてならない。

(文責:鴇田  三芳)