第348話 農業衰退の原因(4)

百姓雑話

1970年代後半から、日本の農業は衰退の一途をたどってきた。なぜこうなってしまったのか、農業現場から私なりに考えてきたことを述べてみたい。

私の祖父母の世代までは腰の曲がった農民がとても多かった。特に女性は、出産によってカルシュウムが減るためか、90度くらい曲がった人も珍しくなかった。腰が曲がる理由は、農作業が機械化されてなく牛馬による耕耘を除けば、ほとんどを人力に頼っていたためである。稲作の一連の作業の中でも、夏の炎天下で行なう除草(いわゆる「田の草取り」)は、90度ちかく腰を長時間曲げたままの作業のため、腰が曲がる最大の原因であった。

戦前・戦中・戦後の食糧難の経験から、国をあげて食糧増産に邁進した。とりわけ主食の米の増産は国策であった。水田の面積も年々増え続け、昭和30年代以降、農薬と化学肥料、そして牛馬に代わる耕耘機や稲刈り用のバインダーが登場。後に、耕耘機はトラクターに、ただ稲を刈るだけのバインダーは稲刈りから脱穀まで一気にこなすコンバインに進化した。除草剤の登場によって、他の草取りから農民が開放され、農村から腰の曲がった老人がめっきり減った。

この生産革命によって、生産効率が桁違いに上がったが、皮肉にも日本農業の基幹であった米麦栽培農業の衰退を招く一因になってしまった。生産効率が桁違いに向上したからといって、農地が桁違いに増えたわけではなく、必要な農民数が激減してしまった。そのため、あふれた農民は、製造業などに雪崩を打って転職し、日本を世界第二位の経済大国へと押し上げた。

農業に残った農民は、サラリーマンとの所得格差を横目で眺め、年に一度しか使わない高価な機械をかかえ、兼業化でしのいできた。特に、米麦農家はこの傾向が顕著であった。

将来への明るい展望を見出せない、ろくに儲からない産業が衰退しないはずがない。

農家出身者を吸収してきた企業の中には、さらなる機械化で労働者を減らし、あるいはアメリカとの間に起こった貿易摩擦にためにアメリカへ移転したものも少なくない。バブル経済が崩壊しデフレになったら、今度は労賃の安い中国へと出て行ってしまった。

この企業の海外流出によって、兼業でどうにか農業を続けてきた農民さえも、もはや離農せざるを得なくなり、農業衰退は止められなくなってしまったのである。

(文責:鴇田 三芳)