第38話 癌と生きる(1)

百姓雑話

癌は、自らの細胞が異常をきたす、究極の病気である。その原因はいろいろあるという。有害物質の飲食や不適切な食生活、およびタバコなどの有害物質の吸引が主なものだが、ウィルスや細菌の感染、紫外線や放射線の被爆なども原因となっている。日本における死因のトップが癌であることからもわかるように、誰でもその危険にさらされながら生きている。個人個人の生活環境や習慣、あるいは体質や性格などの違いによって発病のリスクは異なるものの、明日は我が身である。

私の友人や知人には、癌とともに生きている人が何人もいる。まず、香取直孝さん。水俣病の記録映画「無辜なる海」を監督された方で、現在は松戸市内で自然食品店を経営しておられる。かつて4年間ほど、私の畑で採れた野菜を仕入れて下さった。その彼に、今から10年ほど前だったろうか、癌が見つかった。しかし、西洋医学に頼ることなく、快医学にもとづく食事や生活で癌の進行を抑え、現在も働いておられる。また、奥さんが癌に冒されたため銀行を早期退職され、広い畑を借りて癌に有効と言われている人参などの野菜を自給している方もおられる。

私も癌を強く意識している。父が胃癌で母は肝臓癌で亡くなっているので、食事や生活習慣には特に気をつけている。また、ストレスは、軽く受け流し、できるだけ先に持ち越さないように心がけている。さらに、いざという時に薬が効くよう、花粉症の薬以外、ほとんど薬を飲まない。

しかし、生身の体に万全などということは決してない。私は仕事柄、屋外で紫外線を多量に浴びる毎日である。畑では日常的に、野菜の味を調べるため、洗わずに生で食べている。自分の食器や箸などは基本的に水で洗うだけで、洗剤はできるだけ使わない。だから雑菌やウィルスは十分過ぎるほど摂取している。多分、人並みに癌のリスクにさらされているはずである。

それにもかかわらず私は、薬と同様に、検査も好きではない。市が年に1度行なう集団検診でレントゲン撮影による肺癌と検便による大腸癌を調べてもらうだけである。バリュームやカメラによる検診は嫌いである。

もし癌が見つかったら、外科的処置を受け、友人の香取さんのように自分を信じ癌と生きるつもりである。それで命を落とすことになっても、「仕方ない、これも運命だ」と諦めるつもりだ。事故で一瞬のうちに死ぬよりも、苦痛に耐えながらも人生を回顧できる時間があるだけ、まだましである。

(文責:鴇田  三芳)