30年ほど前から、私は中国がとても気になってきた。きっかけは、アフリカから帰国する機内で読んだ中国史の文庫本である。ただ記憶させるだけの学校の歴史教科書とは違い、悠久の歴史が現代にいきいきと蘇ってきそうな本であった。
その数年後、中国経由でケニヤに向かう途中、北京に数日滞在した際、そこで目にした街中の様子は戦前の日本のようであった。車はほとんどなく、広い通りに自転車があふれかえっていた。宿泊したホテルは、電気と水道の時間制限があり、とてもホテルと呼べないような有りさまであった。外国人向けのホテルでそうなのだから、庶民の生活はもっと不便であたろう。たぶん、ごく一部の特権階級を除けば、鄧小平が実権を握るまでは、圧倒的多数の国民が貧しさを共有していたに違いない。
ところが今や、世界2位の経済力を誇っている。昨年の今ごろ、娘が住んでいた上海を訪れた時、あまりの変容に度肝を抜かれてしまった。どう見ても、30年前の北京の街並みとはまったく重ならない。昇り竜のような中国をニュースや記事で知ってはいたものの、まるで今にも、中国が世界を飲み込んでしまうかのような勢いを感じた。巨大な経済力を手にした中国は、一体どんな未来を切り拓こうとしているのだろうか。
かつて日本は、勢いあまって豊臣秀吉が朝鮮に攻め込んだ。また、明治維新をへて欧米先進国を猛追し、やはりその勢いを自制できず、満州国の独立を口実に中国を侵略し南アジアへも軍を進めていった。はたして中国も、日本と同じ過ちを犯すのだろうか。非情にも、歴史はくり返すのだろうか。
しかし、冷静に世の中を見回せば、昔とは比べものにならないほど世界が狭くなっている。庶民の生活の隅々まで世界経済に組み込まれ、外国製品に囲まれている。また、どこにいても瞬時に行きかう情報をスマホなどで手軽に入手でき、地球の反対側に住んでいる人とでも映像を見ながらリアルタイムで会話ができる。そして、周囲にはたくさんの外国人が混住している。近々の統計では、70万人ほどの中国人が日本に住んでいるという。韓国朝鮮人を抜いて、在日外国人の中では中国人がもっとも多い。農場周辺の農村地帯でも、中国人などのアジア系外国人だけでなく、アフリカ系の人々もたくさん働いている。
こんな時代であるにもかかわらず、中国は日本と同じ過ちを犯すのだろうか。経済力だけでなく、軍備の増強を急ぐ中国を見ていると、不安が胸をよぎる。尖閣諸島をめぐる中国の挑発やサンゴの密漁という違法行為を平然と行なう中国に対し、日本人が好戦的に変貌することはないのだろうか。
万が一、中国と日本が戦火を交えることにでもなった時、中国本土の権力者はどういう対応をとるのだろうか。在米邦人を見捨ててまで太平洋戦争に踏み切った日本のように、これら在日の同胞を身捨てるのだろうか。
「今世紀は中国の世紀」と言う人が少なからずいる。私もそうなるような気がしている。少なくても、アメリカやヨーロッパと並んで、第三の覇権国家してアジアに君臨する時代がそこまで来ている。仮にそうなったとしても、周辺国が望まないような抑圧的な覇権国なら、悠久の歴史を持つ中国でも歴史から何も学んでいないと誹(そし)りを受けるだけになる。
(文責:鴇田 三芳)