昔から人類は土地をめぐる争いや戦争を何度もくり返してきた。現に今も、世界各地で領有権をめぐって戦争が続いている。日本もロシアとの間で北方領土を、韓国とは竹島を、中国とは尖閣諸島をめぐって争っている。交渉も虚しく、解決の目途が一向に立っていない。経済的には相互依存関係にあり市民の行き来も自由でありながら、こと領土となると人類は流血の争いも辞さない。暴力団の縄張り争いと本質的に何も変わらない。
もっと身近なところでも、土地は悩みの種、苦労の元となり、人生を大きく左右する。
2011年の東北大震災の後、大津波で被災した人々が集団で高台へ移転しようとしても、土地の複雑な権利関係が足かせとなり、多くの人たちが仮設住宅に足止めされた。これが中国であれば、良くも悪くも、あっという間に解決しただろうに。
ほとんど裸一貫でサラリーマンになり、つましいマイホームを持つために一生を捧げた人たちが何と多いことか。デフレ経済が長期化し、マイホームさえ今や持てない人たちもたくさんいる。まさに、石川啄木の「はたらけど はたらけど 猶わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る」。そんな時代に戻りつつある。
その一方で、高価な土地を相続し悠々自適の人生を送れる人もいる。
農村地帯に目をやれば、草木が生い茂る耕作放棄地があちこちに散在する。実質的に、そのほとんどは所有者不明になりつつある。そんな農地を安く宅地として利用できれば、どれほど多くの庶民が救われることだろう。
人口が減り続けている日本で、いまだに宅地がこんなにも高価なままなのが、私は不思議でならない。
やはり、人は土地の奴隷なのであろうか。
(文責:鴇田 三芳)