第257話 安定と不安定

百姓雑話
凍てつく厳寒の中、タンポポの花が咲いていました。

今年は秋以降、野菜の値段が高騰しています。どこかの自治体では、その影響で給食費が不足し、給食の出ない日を設ける事態になりました。それでも結局、保護者が弁当を持たせれば、家計からの出費がかさむのは同じなのですが。こんな事態を招いたのは秋の天気が例年以上に不安定であったからです。雨続きで、種まきが計画どおりにできず、くわえて、作付けできた野菜も病気や腐れが多発したことが原因です。

以前の百姓雑話でも書きましたが、野菜などの生鮮食品の価格は、需要に対して2割不足すると約2倍に、2割だぶつくと半値になると言われています。こんな事態の時、栽培に失敗しないで潤沢に出荷できれば農家の経営も楽なのですが、そんな都合のいいことはなかなかありません。やはり安定して採れ、安定した価格で売れたほうが、消費者だけでなく、ほとんどの農家にとっても好ましいのです。

そもそも、私たちの生命活動も安定な状態になろうと機能しています。暑ければ血管を開き寒ければ血管を絞めて、内部体温を一定に保とうとします。自然界もまったく同じで、不安定な状態の物は、化学反応やエネルギーの放出、核分裂などによって、より安定した状態に変化します。多分これが、宇宙の真理ではないかと私は思っています。上述の天気の不安定な状態も、実は地球規模で見れば、エネルギーの偏在を減らし地球全体として安定な状態になるための現象です。人の都合で勝手に「不安定」と決めつけているだけなのです。

ところが、この真理にも例外があります。その最たるものが、人の欲望です。過剰な金銭欲のおもむくまま、瞬時にボロ儲けしようとパソコンに向かっている人々にとっては、不安定こそがチャンスです。

世界では今、経済発展の限界が見え始め、あえて不安定な状態を作り出し、そこにビジネス・チャンスを創出しようとしている人たちがたくさんいます。そして、その究極が戦争ではないでしょうか。何も生産しない高価な兵器が消耗され、都市や生産施設が破壊され、人命さえもが消耗品のように失われ、戦争前も戦争中もそして戦後も新たにたくさんの雇用が創出されていきます。

安定と不安定は、いつの時代もコインの表と裏のように並存し、せめぎあい、そして多くの場合、不安定が安定を駆逐しようと挑んできました。民族や国家が直面する生存の危機、人々の感情を抑えきれないほどの貧富の格差、いわれなき差別あるいは差別意識、救いがたい絶望あるいは根拠のない優越感、民族のDNAに深く刻み込まれた憎悪や復讐心、・・・・・・・・・・・・・。これらが社会に充満すると必ず社会は不安定になり、戦争へと突き進んでしまいます。悲しいかな、それが人類の歴史です。

人類を悩ませ続け、血であがなってきた安定と不安定の相克は一体いつまで続くのでしょうか。

(文責:鴇田  三芳)